見出し画像

夏至はぽこぽこ何かが湧き上がってくる


どうやら約半年ぶりにnoteにログインしたみたいだ。

下書きを見てみたら、夏至のタイミングで書いた文章を発見した。こんなことを書いていたのはすっかり忘れていたけど、今日クラスメイトの韓国人とブログを書き続けることについて話したから、私も何か書きたくなって、久しぶりに筆をとってみようと思う。​


以下、夏至に書いた下書きをもとに、書き直してみた。


*******

夏至のエネルギーがとてつもない。宇宙すごい。
昨日からいろんなものがポコポコ湧いてきて、これまでの停滞から何かが動き出した感じがする。

といっても何も決まっていないんだけれど。でも久しぶりに文章を書く手がなめらかだから、このまま書き続けてみようと思う。

仕事を辞めて、なんだかんだでもうすぐ一ヶ月が経とうとしている。

「次」を決めずに辞めたけど、やっぱり「次」がないと不安になる。誰かから急かされたわけでも無いのに、「次」を早く決めなきゃと焦っていた。あれじゃないこれじゃないと、いろいろ選択肢を挙げてみては、結局どれもしっくりこないことにヤキモキした。


何かを選択するときに、頭で考えてしまう自分がいる。次の一歩を踏み出すときに、どう説明したら周りの人に「分かってもらえるかな」って、そういう思考回路で行き先を決めようとしていたことに気がついた。

周りに理解してもらえる理由を考えながら、どうにか頭で「次の一歩」を捻り出すのだけど、心は正直だからずっと小さなモヤモヤが消えてくれなかった。実際、心の違和感を思考で抑えて無理やり行動してみても、図ったように上手く行かないことが続いた。

思うように動き出さない現実がもどかしくて、現実逃避でひたすら寝てみたり、大食いしてみたり、DSを立ち上げてみたり、ドラマを夜通しみたり、そういう日が少し続いた。そして、まだまだ自分に優しくない私は、モヤモヤと罪悪感で自分を責め続けていた。

そんな日が続いたんだけど、昨日ふらっと伊丹までとある演劇を見に行くことになった。

自分で買ったチケットのくせに、直前まで行くのめんどくさくて、遠いし、交通費かかるし、どうしようかなと思った。でもなんか行ったほうがいい気がしたから、家を出た。


劇場近くの超穴場なカフェでぐるぐるモヤモヤしていたら、はたと気がついた。というよりも、認めたに近いかもしれない。

「私は外国にルーツを持っているから、外国にルーツを持つ人々のために何かをしないといけない」という「べき論」で自分を縛っていたということに。

心はもう気づいていた。「外国にルーツを持つ」だけの切り口に興味を失い始めていることを。正直その界隈にいても心がワクワクしないことを。

でも、短いながらも「外国にルーツを持つ」界隈で仕事をしたし、外国にルーツ持ってるし、多文化共生社会を作ることこそ私が貢献できることだ!とか大口叩いてたし(今考えると恥ずかしい)、差別とかくそくらえ、ビバ社会正義、とか憤っていた私がその界隈から飛び出してしまっていいのか、という謎な申し訳なさや罪悪感があった。

それでもやっぱり「外国にルーツ」をもつというカテゴリーで物事を考えることに飽き飽きしていたことは認めざるを得なかった。

これに気がついたときに、ぱーーーっと目の前が開いたような気がした。これまで隠れていた選択肢が見えるようになった。そうしたら、どんどん具体的なプランが出来上がってきた。心は、もちろんワクワクした。


私は、中国に留学することを決めた。

*******


最終的にこれを書いているのは中国にやってきた三ヶ月後だけど、6月にはこんなことを考えてたのかって知ることができて、改めて文章に考えを残すことの大切さを感じた。

最後の下り、中国に留学することを決めたって、結構飛ぶな!って感じで終わってしまったけど、この三ヶ月ほぼ長い文章を書いていなくて、力尽きてしまった。


ぼちぼち、note、続けたいなと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?