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結局この世は人と人

生きていくのに人との繋がりは欠かすことはできない。
人と人とで生きている。

どれだけAI技術が進化しようと
楽しみを見出す時、そこには必ずと言っていいほど、人がいる。

それは、直接会う人だけではない。
SNSで繋がっている人、画面越しに一方的に見て憧れている人、
どこかに人は存在している。



でも、どうしたって相性が合わない人はいる。
人の悩みの一番は人間関係らしい。
自分にも嫌いな人、苦手な人がいるのだから相手にもそれは言える。

けれど、別に全世界の人、日本中の人、と
接していかなければいけない訳ではない。


自分が考えているよりも
人生で付き合っていく人の数は全然少ないかもしれないね。
だとしたら、その限られた人数の枠の中は
自分が心地良いと感じる人で満たしていきたいよね。

だって、付き合っていく人が変わるだけで
自分の『日常』も『人生』も全然違ってくるから。



例えば、

美容師さんだって
「その美容師さんだから毎回お願いしたいんだ。」とか
「似合いそうって信頼してくれてる貴方が言ってくれたから
ちょっと挑戦してみようかな、って勇気が湧いた。」とか。
初見の所だったらしないようなこと
試してみたいって思えたりすることもある。

病院の先生だって
いくら凄腕の名のある先生だからって
長く付き合っていくなら高圧的な人は嫌だ。
逆に優しかったりして自分が心地良いなって思える先生なら
通院だって苦じゃないし
「薬こういうのに変えてみない?」って言われても
先生がおっしゃるなら。って納得できるかもしれない。

動画を見るのだって
同じことをしていたとしても
「この人だから見たい!」って感情があってその人の動画をクリックする。
仮に動画自体はそんなに面白いものでなかったとしても
『笑顔に癒やされた』とか
『頑張ってる姿に元気が貰えた』とか
結果以外の部分をちゃんと人は見てて、大事にしてるんだよね。



全てのことに言えるかは分からないけれど
どれだけスゴい肩書きや結果を残すことよりも
”その人が"いい。っていう感情の部分の方が勝る場面は
割と多い気がする。


だから、無理して付き合いたくない人と付き合うのではなく
自分が一緒にいて楽しい、時間を使えて良かったと思える人と付き合っていきたい。



自分も人とのご縁の中で
何が提供できるのか、自分は相手に何をしてあげられるのかみたいな
【成果的な価値】ではなく、

一緒にいて、とか、こういう文章を見てもらった時に
"楽しいな!"とか"元気が出た!"とか
そういう形として見える部分以外の感情を何か満たせていたら
とっても嬉しいなと思うし、そういう面を大事にしていきたい!



身近な人から遠くの存在まである意味全員「推し」のような感覚。
何をするか以上に、
ただそこにいてくれれば良い、その時笑顔だったらもっと嬉しい。
みたいな。


スマホ・ネット社会、AI・ロボットの台頭と言われようが
実はちゃんと皆、人と人とのつながりを大切にしている。

そういうのはあくまで繋がるための一つのツールだったり交流の形の進化。
SNSが普及したことで繋がれた人がいる。
遠くに行ってしまった人とも簡単に会話・通話ができて
コミュニケーションが取れる。

最終的には人と人なのだ、というのは忘れずに大切にしておきたいね。






自分に価値がないんじゃないかと落ち込んだ時に。


経歴も何を成したかも一つの要素でしかない、
もっと言えばどうでもいい。

「貴方がこんなことをしたから」
「あの人と比べて優れてるから付き合ってるんだ」って
そんな損得勘定で動いてないし
そんな疲れるようなことは皆したくない。

こんな自分なんかとなんで一緒にいてくれてるんだ、と
落ち込んだ時はそう思われてると思って。

だって自分だって同じように思っているから。

自分は思ってるけど、相手はそうは思ってないなんて
損得勘定で動いてるひどいやつだ、なんて疑う?

誰でもない貴方だから一緒にいるんだ、
貴方だから画面のこっち側からだけど応援してるんだ、
貴方だから日常のちょっとしたつぶやきにもイイネ!を押したいんだ。と。

そういう感情を皆照れくさくて言わないだけで持ってるんだよ~!


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