オリンピック開催に寄せて---ジョージ・オーウェル「スポーツ精神」より

https://www.orwell.ru/library/articles/spirit/english/e_spirit (原文)


東京オリンピック開催に寄せて、オーウェルの1945年のエッセー"The Sporting Spirit (スポーツ精神)"をあらためて読んでみた。オーウェルの慧眼はこの現代にも十分届いているように思われる。以下、拙訳。

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サッカーチーム、ダイナモの短い遠征が終わったいま、チームが帰国しないうちに、多くの思慮深い人たちが秘かに何を言っていたのかを公にすることができよう。それは、スポーツは敵意を無尽蔵に引き起こすものであり、今回のような遠征がイングランドとソヴィエトとの関係をただ悪化させるだけだということだ。

新聞を読んでみると、4試合のうち少なくとも2試合がきわめて悪意あるものになったことが分かる。アーセナル戦では、(これは観戦した人に聞いたのだが)イギリス人とロシア人の選手が殴り合いになり、観客は審判にブーイングを発した。また、グラスゴー戦では、(これは別の人が教えてくれたのだが)最初からルールのない自由参加の試合だったという。そしてまた、アーセナルのチーム構成についての議論があった。これは、現代の国家主義の時代における典型的なものである。ロシア人の主張によれば、アーセナルは本当に全イングランドチームなのか、またイギリス国民が断言するには、単なるリーグチームなのか、という議論である。では、ダイナモは全イングランドチームとの対戦を避けるために不意に遠征を終わらせたとでもいうのだろうか。たいていこうした問いには、人はそれぞれの政治的な好みによって答えるものである。すべての人がそうするとは必ずしもいえないけれども。サッカーが引き起こす悪意の一つの例として、私が注目したのは、ロシア寄りのニュース・クロニクル紙のスポーツ特派員は反ロシアの姿勢をとり、アーセナルは全イングランドではないと主張した。間違いなくこの議論は歴史書の脚注に今後何年にもわたり反響を呼ぶだろうが、一方で、ダイナモの遠征の結果は、むろん結果があればの話だが、両陣営に新しい敵意を抱かせることになるだろう。

では、そうではない場合はどうか。私は、人々がスポーツは国家間の親善をもたらすものだと言ったり、世界の国民がサッカーやクリケットをして互いに出会いさえすれば、戦場で戦うことにはならないだろうと言っているのを聞くと、いつも驚いてしまう。具体的な例(たとえば1936年のオリンピック)をみて、国際スポーツ競技によってすさまじい憎悪が生まれるということが分からなくとも、これは一般的な原理原則から推測できる。

ところで、今日行われているほとんどすべてのスポーツは競技である。競技は勝つためにするのであり、勝つために最善を尽くさなければ、試合の意味はほとんどない。村の競技場においては、どちらかの側で戦いはしても、偏狭な郷党意識はなんら生まれてこないので、ただ楽しみと運動のためにスポーツをすることもできよう。しかし、ひとたび面子がかかり、自分とその属する組織の名誉が傷つくと思うや、最も野蛮な闘争本能が呼び覚まされることになる。このことは、学校でサッカーゲームでもやったことのある人なら誰もが知っている。国際的なスポーツは、率直に言って、擬似戦争である。しかしながら、重要なことは選手の振る舞いではなく、観客の態度のほうだ。そしてさらには、その観客の背後にある、こうした馬鹿げた競技に熱狂して、走るなり跳ぶなりボールを蹴るなりすることが国の美徳だといわんばかりに本気で信じている国民の態度が問題なのである。

強さよりも洗練さが求められるクリケットのような娯楽ゲームにおいても、恐ろしいほどの敵意が生まれる。ボディライン・ボウリングに対する議論や、1921年にイングランドを訪れたオーストラリアチームの荒っぽい戦法に対する議論が好例だ。サッカーの競技では、すべての人が傷を負い、あらゆる国が対戦国からすると公平には見えない競技スタイルがあるもので、そうしたサッカーはさらに酷いのである。しかし、最悪なのはボクシングだ。この世のうちで最も恐ろしい光景のひとつは、色んな人種の観客を前にした、白人と有色人とのボクシングの試合である。ボクシングの観客というものは常に人をむかつかせ、特に女性客の振る舞いときたら、軍隊を出動させて観戦を拒むほどのものだと私は思っている。いずれにしても、数年前に国防市民軍と常備軍がボクシングのトーナメント戦を開催した際、私は会場の入場口に警護として配属され、女性を入場させるなという命令が下っていたのである。

イングランドでは、スポーツの熱狂は十分悪しきものだが、さらに激しい熱狂が新興国で起こっており、それらの国では競技と国家主義がともに最近になって発展してきている。インドやビルマのような国では、サッカーの試合で観衆が競技場に侵入しないよう厳重な警戒が必要だ。ビルマで私は実際に見たのだが、一方のチームの観衆が警官隊を突破し、試合の決定的な場面で相手のゴールキーパーに障害を与えた。15年前にスペインで開催された最初の大規模なサッカーの試合では、収拾のつかない暴動が起こった。いったん競争心が芽生えると、ルールに則って試合をしなくなる。人々は一方のチームを上に見立て、もう一方を侮辱しようとする。そして、観衆が不正をしたり妨害したりして得た勝利は意味がない、ということを忘れてしまう。たとえ観客が物理的に妨害しなくとも、自分のチームを応援したり、相手チームにブーイングや侮辱の言葉で「混乱させる」ことで試合に影響を与えようとする。本気のスポーツはフェアプレイとは何ら関係がなく、憎悪、嫉妬、傲慢さ、すべてのルールの無視と分かちがたく結ばれており、暴力を目撃することの加虐的な快感と切っても切れない。いってみれば、銃のない戦争である。

サッカー競技の公平で健全な競争と、各国をひとつに繋げるオリンピックの素晴らしい役割にケチをつけるかわりに、スポーツの現代における狂信ぶりが、どのように、なぜ起こったのか考えてみることはより有益だろう。今日われわれがする試合のほとんどはたしかに古代起源のものだが、しかし、スポーツはローマ帝国の時代から19世紀を経て、あまり真剣に受け取られてこなかったようである。イギリスの公立学校においても、19世紀の後半になってようやく、スポーツの試合の熱狂が始まったくらいである。アーノルド博士は、近代公立学校の祖と一般的にみなされているが、しかし博士は試合など全く時間の無駄だと考えていた。その後、イングランドとアメリカを中心に、スポーツの試合は重要な財政的活動となった。多くの人々を魅了し、激しい感情をかきたてることができたからであり、その影響は国から国へ広まっていったのである。なかでも最も闘争的なスポーツであるサッカーとボクシングこそ、最も広まったものなのだ。

すべてのことが国家主義の台頭と結びついていることにさして疑いはなかろう。自らを大国とみなし、競争力の観点からすべてを眺めるといった馬鹿げた現代の習慣である。それに加えてまた、組織化された競技は、ごく普通の人間が運動をせずに座りがちな生活を送る場で、少なくとも制約の多い生活を送る場所で、そうした都会的な場でさらに広まっていくようである。その機会は創造的な仕事をしているものにとってはあまり多くはないが、他方、田舎の生活では、青少年は歩いたり、泳いだり、雪玉で遊んだり、木に登ったり、乗馬をしたりして有り余った体力を発散する。彼らは、釣りをしたり鶏を闘わせたり、フェレットを使ったねずみ捕りといった動物虐待ともいえる様々なスポーツによっても憂さを晴らしている。かたや大都会では、体力発散や加虐的衝動のためのはけ口は、集団的な活動に従事しなければ見つからない。競技はロンドンとニューヨークで真に受け取られているが、それらはローマとビザンチウムで真剣に考えられていたものだ。つまり、中世では競技は行われており、それはおそらく実際に残虐なものだったが、しかし集団の憎悪を生むような政治的なものではなかったのである。

いま現在世界に蔓延っている憎悪の根本的な土台に何かつけ加えたければ、ユダヤ対アラブ、ドイツ対チェコ、インド対イギリス、ロシア対ポーランド、そしてイタリア対ユーゴスラビアとの本気のサッカーの試合をおいてほかはあるまい。各試合は様々な人種からなる10万人の観客に観戦されるのだ。無論、私はスポーツが国際競争の主な原因であると言っているのではない。しかし私が思うには、大規模なスポーツはそれ自体で、国家主義を生み出す別の要因であるということである。それでもなお、国家代表という11人からなるチームを敵国と戦わすために送り出し、負けた国はいずれも「面目を失う」とあらゆる面で感じさせることで、事態を悪化させることは実際にできるのである。

cf 1. 1936年のオリンピック: ベルリンオリンピックのこと。レニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」「美の祭典」に詳しい。開会式の振付はマリー・ヴィッグマン。

cf 2. body-line bowling: http://en.wikipedia.org/wiki/Bodyline

cf 3. Burma: 現在のミャンマー。旧国名はビルマ。オーウェルが書いた当時はおそらく独立戦争中だと思われる。映画「ラングーンを越えて」は必見。

cf 4. Dr. Arnold: トーマス・アーノルドのこと。イギリスの教育家。


追記: 選手を中心に、観客、国民と同心円に広がっていくオーウェルの幾何学的論述は目を瞠るものがあった。国の威信をかけたスポーツのいわば銃後であるわたしたちにとって、何をかいわんやである。ここで私がひとつ思い出したのは、72年札幌冬季オリンピックを取材したフランスの映像作家、ルルーシュの言葉である(これは朝日新聞に掲載された)。

「オリンピックは国家意識がむき出しの激しい闘争のうえに、友情という仮面を被っている。それを支えているのがいわゆる五輪精神だ」



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