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桜桃コロコロ桜桃忌

紫陽花繚眼、梅雨切れの夕闇落緋、三鷹禅林寺の桜桃忌を訪ねた。多くのファンが集っていると思いきや、墓前で熱心なファンが十数名、文学だの昭和だの酒だのと実に愉快な話で盛り上がっている、少し寂しい曇天の命日。ここは八幡大神社とあわせて閑静な寺域を残しているが、三鷹武蔵野も再開発がすすみ、寂しさにさらに拍車をかけている気もする。

墓前に立つと、あぁ太宰という作家は本当に実在したんだと、その作品以上に身に迫るものがあった。死をもってしてその存在を身近に感じるとは不思議なものだ。私はふと「右大臣実朝」のなかでも大好きな一文「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」を思い出し、きっと太宰も明るい人だったのだろうなぁと手を合わせた。中学で初めて読んだ太宰だったが、ここには制服姿の男子高校生や金髪の若い女性の姿もあり、今も昔も若い人に愛されているのだなぁとあらためて実感。

たくさんの桜桃(さくらんぼ)が添えられていた。作家が好きだったとのことだが、しかし小粒ながら佳作揃いの短編が本領の作家である。まさに珠玉の桜桃なのだ。

斜め向かいにはあの鴎外の墓。これに関しては太宰の言葉を引いておこう。

「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓がこんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持ちが畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した」

しかしいくら雲散霧消したといっても、死後75年経ったいま、こうしてたくさんのかわいい桜桃と作品とが残っている。



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