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経正と青山(せいざん)


都に攻め入るべく義仲が北陸で謀反を起こし、平家軍はいざ追討の軍旅にでる。このとき、琵琶湖の北にある岩島「竹生島」を訪れた経正(つねまさ)。経盛の長男にして清盛の甥、歌と音楽、とりわけ琵琶の妙音巧手として知られた。動乱にあっても心静かに竹生島で琵琶を奏でる俊英である。

青山という琵琶は、「玄上」「獅子丸」とともに唐から伝わった三大名器のひとつで、経正が幼い頃、師匠の覚性法王から賜ったもの。義仲の上洛によって都落ちを余儀なくされた経正は、最後の面会に師を訪れ、名残惜しくも「青山」を返上する。明らかに死を覚悟してのことである。

経正はのち一の谷の戦いで戦死。世が世なら、音楽の大家として後世に名を残しただろうと言われている。後継子孫なく、門葉は途絶えた。

「青山」とは夏山の峰の木の間より、有明の月が顔を覗かせている装飾が琵琶の撥面(胴の皮の部分)に施されていることが由来だそうだ。経正亡きあと、この名器は持ち主を転々と変え、宇和島の伊達家に伝わっているという。

現在、神戸市兵庫区にある清盛塚の傍らには経正を偲んで琵琶塚が建てられている。あるいは心を澄ませば、経正が竹生島で奏した青山の琵琶の調べが聞こえてくるかもしれない。

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