宮内卿、薄緑透羽の蝉

「増鏡 第一 おどろのした」には宮内卿くないきょうという、後鳥羽院に仕えた十五歳の天才歌人が登場する。千五百番歌合に奉った一首、

うすくこき 野辺のみどりの若草に
   あとまで見ゆる 雪のむらぎえ

(野原の若草の緑の薄いところは雪が遅くに解け、濃いところは早く解けた、その跡が分かるほどに去年の雪はむらになって消えていったことよ。)

観察眼と想像力、そして時の移り変わりが見事に捉えられたこの秀歌によって「若草の君」と称えられたが、あまりに歌道に専心したためにほどなくして病に臥し、ひっそりと世を去った。

その歌才を絶賛した後鳥羽院は、その儚き死を嘆いて、この小さな大歌人を「薄緑透羽うすみどりすきはの蝉」、夏に鳴く蝉の一旬の命として、胸が搔きむしられると悼んだという。院がのちに承久の役に敗れ、隠岐に流されて失意に過ごしたあいだも終生宮内卿のことは忘れなかったと伝わる。

若草と薄緑透羽の蝉、でも私には、早熟のためにもっとも早く雪が解けて、それだけ濃い緑に輝いた一葉に思える。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?