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オープンDの音色を追って 6

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『キャンティ物語』野地秩嘉(1994幻冬舎)を読みました。
 飯倉に現存する、イタリアンレストランの嚆矢・キャンティに関するノンフィクションです。
 いろいろなタレントさんが話に出すので、キャンティの名は関西で育った私でも知っていました。
 深夜まで開いていて芸能人や文化人、芸術家が集まる店。日本で最初にバジリコのパスタを出した店。都会的で大人なイメージに憧れを抱いたものです。

 コロナが流行る前、2019年に、私は仕事で東京メトロの神谷町に通っていました。
 駅のそばの大通りに出ている標識には「↑飯倉」の表示がありました。それを見て急に「キャンティってこの辺から行けるのでは?」と思い出したのです。
 仕事先の人に「キャンティはこの辺ですか?」と訊いてみたのですが、誰も知らなくて分からずじまいのままです。
 その後、コロナ禍→自宅待機時間増大→サブスクリプションでGAROにハマる→GARO周辺を調べる→マークとトミーの衣装はブティック『ベビードール』製→ベビードールはキャンティのビルの一階。
 という過程で再びキャンティにたどり着きました。
 マークとボーカルの出会いとなったロックミュージカル『ヘアー』(1969)のプロデューサー・川添象郎は、キャンティの創業者・川添浩史の長男です。
 また、象郎の友人でキャンティに出入りしていたのが、GAROと関わりの深い作曲家・村井邦彦です。
 ですから、キャンティ関連のノンフィクションならGAROのことにも触れている可能性があると思ったのです。

『キャンティ物語』を手に入れて、最初に見たのは巻末の取材協力者一覧でした。
 加橋かつみ、かまやつひろし、ミッキー・カーチスなど、近いところの人の名はありましたが、GAROのメンバーはいませんでした。大野真澄があるかと思ったのですが、残念です。
 次に目次を見ると、本の後半は『ヘアー』のことにページが割かれています。
 よしよし、と読書開始。
 キャンティ開店までの川添家の歴史を読みつつ、いよいよ本は後半、『ヘアー』の話へ。
 のちに同作に主演する加橋かつみがザ・タイガースを脱退したのは1969年3月のことでした。
 ベビードールのオーナー兼デザイナー・川添梶子は、グループサウンズの衣装を手がけており、加橋かつみ、萩原健一といった少し翳りのあるメンバーに愛情を注いだといいます。
 川添浩史は加橋が自分の妻を慕っていることを知り、川添家に住まわせ、パリでソロアルバムのレコーディングができるよう手配して面倒をみます。
 加橋は象郎とともにパリに渡り、レコーディングのかたわら『ヘアー』に出逢いました。
 ぜひこれの日本版を上演したい。そう思った象郎は上演権を持つベルトラント・キャステリと交渉をします。
「君のサイン(星座)は?」
「サイン? アクエリアス(水がめ座)です」
「そりゃ偶然だな。日本での権利はお前が取れるかも知れない。このミュージカルはアクエリアスのサインを持つ者のために作られたものだから」
 こんなやりとりを経て、『ヘアー』は日本に来ることになったのです。
 その主題歌は『アクエリアス――輝く星座』。
 占星術によると2000年を境に地球は水瓶座の時代に入り、変革のときを迎えるのだそうです。

『ヘアー』の制作発表は1969年7月29日。
 公演は渋谷東横劇場において、12月5日~30日(最終的には翌年2月末まで延長)。
 ブロードウェイ同様、配役はオーディションで決定。
 ここにGARO誕生のきっかけとなる運命のオーディションが開催されたのです。
 オーディションは9月1日から3日間、赤坂TBS裏の国際芸術家センターで行われました。
 日本全国からの応募者は約3,500人。書類選考を経て、来場したのは約200人。すごい数です。今のような情報社会ではない時代に、みんなどうやって情報を手に入れたのでしょうね。
 マークによると、このオーディションの話はトミーが持って来たとのこと。
 女性のメインキャストとなる松本洋子(当時はモデル)はキャンティに通っていて、象郎から直接話を聞いたそうです。オーディション会場に行くと、キャンティで会ったことのある人がけっこういたと言っています。

 オーディションに通ったマークとボーカルは東横劇場の舞台に立つことになります。
 チケットはいちばん高い席が3,000円。歌舞伎が2,500円の時代に高価な設定でしたが、前売りはよく捌けたそうです。
 初日には席は完売。招待席には三島由紀夫、有吉佐和子、黛敏郎と錚々たる顔ぶれ。
 展開上、裸のシーンがあるため、警官の姿も。
 上演中、なんと劇場のあるビルの地下から出火。ボヤで消し止められましたが、あわや上演中止か? という危機を乗り越えて初日は幕を下ろしたのでした。

 その後、公演は順調に回を重ね、出演者間の結束も固くなりました。
 特にコーラスや群舞を受け持つ「トライブ」にその傾向が強く、メンバーのアパートで集団生活を送るようになったのだそうです。冬のことなので、誰かが風邪をひくと全員にうつってしまいます。制作担当の松竹のプロデューサーがアパートを訪ねて注意を促したそうです。
 また、出演者が『ヘアー』の精神を理解するために大麻を使っているという噂もあり、なんともたいへんな一座だったようです。
 そんな座組の中、マークとボーカルがどのあたりに位置していたのか。
 とても気になります。
(つづく)
(文中敬称略)


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