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オープンDの音色を追って 47 ~NHKラジオ『ふんわり』ボーカル出演・その2・大野真澄の名曲遺産~

(約5分で読めます)

 ボーカルのラジオ出演2月8日(木)NHKラジオ第1『ふんわり』の続きです。
 メモを取りながら聴いていると、A4で2枚半にもなってしまいました。

↑ 字が汚いので画像は薄くしました。

 それだけ知らないことが多く、あとで調べようと思うと、あれもこれも書き取っておかないと! となってしまいます。
 以下は聞き書きのまとめです。

ビートルズとボーカル

●1964年、雑誌「ミュージック・ライフ」で日本で初めてビートルズが表紙になった。

ヤフオク! より

●自分の音楽の基本はビートルズ。ローリング・ストーンズは奔放だけど、ビートルズはフォーマル。ビートルズの曲はきっちりやらないとダメ。

ボーカルの故郷・名古屋での高校時代

●ダウンハーツというバンドを組んで、一宮いちのみやのゴーゴークラブ「ユニバース」でハコバンをしていた。
(ハコバン=クラブやレストラン専属のバンド。劇場等、客にパフォーマンスを見せる建物を「箱」と呼ぶことから)
●第一回ヤマハ・ライトミュージック・コンテストにエントリーした(このときのバンドがダウンハーツだったのかどうかは言及がなかったので不明です)。
●全国大会には進めなかった。
●全国大会で優勝したのはジャックス。

 ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト(1967~1971)とは、ヤマハ音楽振興会主催の音楽コンテスト。
 地区予選を勝ち抜いたアマチュア・バンドが、東京での全国大会に出場することができた。
 部門は、ヴォーカル・グループ・サウンズ、ロック、フォーク、ジャズ・コンボ、フルバンドの5つ。
 最終的にその5部門から1組のグランプリが選ばれた。

Wikipedia

 なお、Wikipediaによると、ジャックスは「フォークミュージック部門2位」となっています。
 では、優勝は誰だったのか。捜しましたが、今のところは不明です。

上京

 ボーカルは、高校卒業を機に一旦音楽とはお別れします。
●高校がデザイン科だったこともあり、進路は絵に。
●1968年、上京してセツ・モードセミナーに入学。
 セツ・モードセミナー(2017年4月閉校)は、1965年、新宿区舟町に新校舎を建てたばかりでした。

FASHION―NETWORK― セツ・モードセミナーが閉校か? 惜しむ声が続出

●セツで知り合ったペーター佐藤に誘われて東京キッドブラザーズの前身・キッド兄弟商会の舞台を鑑賞。ペーター佐藤はイラストレーターとして公演のポスターを描くかたわら、照明もやっていた。

BRUTUS「日本のドーナツ文化に“はじまり”をもたらしたミスタードーナツの軌跡」より、
ペーター佐藤のパッケージ画
GAROのラストアルバム『三叉路』のジャケットもペーター佐藤

●その舞台で演奏をしていたのがエイプリル・フール。
 エイプリル・フール:小坂忠、小坂忠(ボーカル)、菊池英二(ギター)、柳田博義(キーボード)、細野晴臣(ベース)、松本零(のちの松本隆)(ドラム)。
●曲は下田逸郎、詩は東由多加。
●劇団には音楽のできる人がいなかったため、主宰の東由多加に誘われて参加することに。
●キッド兄弟商会の舞台を『HAIR』の関係者が観ていて、『HAIR』のオーディションを受けるよう言ってきた。
●そのオーディションでマーク、トミーと出会う。

小坂忠とCSN

●小坂忠は歌がめちゃめちゃ上手い。
●小坂忠からポコとCSNのレコードを借りた。
●ポコの『ファースト・ラヴ』が気に入った。
●CSNの『組曲:青い目のジュディ』を聴いて「完全にハモってる。ハーモニーが一本だ。これ、やってみたい」と思う。
●一度は小坂忠とマークとでCSN的なことをやろうとした。
●その三人で、友人の結婚式でビートルズの『Because』を歌った。その後、意見が合わなくて、組む話はなくなった。
●CSNはミュージシャンの集まりでたまたまクロスビー、スティルス、ナッシュがハモったら、良かった。最初からハモっていた。周囲のミュージシャンたちが驚くほどに。
●(『青い目のジュディ』を作った)スティルスはオールマイティ。自分で全部やらないと気がすまない人。
●(スティルスのいたバッファロー・スプリングフィールドの)『ブルーバード』、いいよね。

 小坂忠とやろうとしていた話は、マークもしていました。
 最初にCSNを教えてくれたのも小坂忠だと。
 小坂忠はGAROの間接的な生みの親と言えますね。

大野真澄の名曲遺産(ボーカルセレクトの洋楽)

『Please Please Me』ビートルズ
 それまでジャパニーズポップス(洋楽に日本語詞をつけたもの)を聴いていた身には、衝撃だった。
『Be-Bop-A-Lula』ジーン・ヴィンセント
 十歳年上の叔父さんが買って来たレコード。エコーのかかり方とか、こんな世界があったんだ! という感じ。
『One Boy』ジョニー・ソマーズ
 切ない。清涼飲料を飲んだような曲。
『さすらいのマーチ』ニニ・ロッソ
 映画『前進か死か』(1962 伊・西・独)のテーマ曲。
 昔のヒットチャートには映画音楽も普通に入っていた。やたらジャンル分けするより、そんな方がいい。
『Holiday』ビージーズ
 グループサウンズが流行っていて、タイガースの公演を観に行った。そのとき加橋かつみがソロでこの曲を歌った。
(ビージーズについては)後年、『Staying Alive』を聴いて「ビージーズは卒業かな?」と思ったが、『How Deep Is Your Love』があったので思いとどまった。

 加橋かつみの『Holiday』。良いでしょうね。聴きたいです。

(つづく)
(文中敬称略)

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