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GAROへの道はなにで舗装されているか

その2:GAROはいかにしてGAROと成りしか(約5分で読めます)

緊急事態宣言に伴う自粛期間中。
シナリオライターである私は、作品作りのヒントとして、しかるべき音楽を捜していました。
その結果出会ったのが、GAROです。
GAROが活動していたのは、自分が小学生の頃。
ほとんど記憶にないこのグループのファンになるなんて。
ちなみにGAROの結成は1970年。
実に50年経ってからの新規ファンなのです。

練習スタジオで知り合ったマークとマツ(松崎しげる)。
マツとバンドを組んでいたトミー。
1968年、この三人を中心とした新たなバンドがスタートしました。
マツが牛乳を愛飲していたことから、バンド名はミルク。
夏場はアイスミルク、冬場はホットミルクと使い分けていたこともあるそうです。
このバンドに関しては、調べてもよくわかりませんでした。
リードギターでポジションかぶりのマークとトミーは交互に脱退と再加入を繰り返していたらしいのです。
そしてマツもいつの間にか脱退していて、1971年のデビュー曲『ハッシャバイ』では、ボーカルはなんとトミー。
さらにこのレコードが発売になった時点で当のトミーは脱退済みだったそう。
一体何があったのでしょうか?
他にわかっているのは、マネージャーが宇崎竜童だったということです。

しかし、GAROと松崎しげるとの間に縁があったとは知りませんでした。
ヒット曲を出した時期がもう少し近かったら共演も見られたでしょう。
そこは残念です。

マツを介して知り合ったマークとトミーは、1969年、ロックミュージカル『ヘアー』日本版のオーディションに臨みます。
このオーディションに、東京キッドブラザーズの前身劇団から参加していたのがボーカルでした。
三人の歴史的な邂逅です。
合格したのはマークとボーカル。
一説によると、トミーは不合格ではなく、団体行動が性に合わないことによる辞退だとも。
しかし、ミュージカルは大勢で作り上げるのが当たり前ですし、団体で行動したくないというような人がバンドを組むでしょうか?
ですので、このあたりは真偽不明ですね。
そしてマークとボーカルはダブルキャストでウーフという役をつとめます。

『ヘアー』の公演も終わった1970年。東京のサンケイホールでフラワー・トラベリン・バンドのヨーロッパ遠征壮行会が行われました。
その休憩時間のこと。
ロビーで突然ゲリラライブが始まったのです。
曲は『Suite:Judy Blue Eyes』(Crosby、Stills&Nash)。
歌っているのはマーク、トミー、ボーカル。
三人揃って人前で歌うのはこれが初めてでした。
なんてセンセーショナルなんでしょう!
もしそのときSNSがあったら瞬時にバズっていたでしょうね。

このゲリラライブを仕掛けたのがザ・タイガースのマネージャーだった中井國二です。
『ヘアー』の主演は元ザ・タイガースの加橋かつみでしたから、その縁でしょう。
中井國二は自分の子どもが生まれたときのために考えてあった「我郎」という名を三人に授け、ついにGAROはグループとしてデビューを果たしたのです。

1970年の結成、翌年のレコードデビュー。『学生街の喫茶店』が大ヒットするまでには、さらに2年の月日がかかります。

三人が出会ってグループを組む。
たったこれだけの過程を調べただけでも驚くことの多いGARO。
松崎しげる、宇崎竜童と関係があったのもそうですし、レコード会社での担当ディレクターはミッキー・カーチス。
ミッキー・カーチスって、ロカビリーのイメージしかないんですが。
実は私の母はフジテレビが開局したときのアナウンサーでして、ミッキー・カーチスと一緒に『ザ・ヒットパレード』という歌番組の司会をしていたのですよ。
もちろん私が生まれる前の話なので、見たことなんかないんですが。
後に『学生街の喫茶店』を書くすぎやまこういちが『ザ・ヒットパレード』のディレクターだったので、母も気やすく「すぎさん」なんて呼んでいました。

ミュージカル『ヘアー』については、おぼろげな記憶でネガティブなイメージがありました。
今回改めて調べたところ、東京公演の打ち上げで不祥事があって、続くはずだった大阪公演が中止になっていたんですね。
なぜ当時小学生だった私が『ヘアー』について覚えているかというと、ザ・タイガースが好きだったので「トッポ(加橋かつみ)が出ている舞台」という認識があったからです。
トッポの声が好きで、意味もわからず『廃墟の鳩』に感動していました。
ちなみにイチオシのメンバーはタロー(森本太郎)でした。
トッポが脱退し、かわりに入ったのがシロー(岸辺シロー)で、そのお兄さんはベース担当のサリー(岸辺修三)。
このサリーが、俳優として活躍している岸辺一徳です。
ドラマ『相棒』の官房長は、グループサウンズでアイドルだったのですよ。
ザ・タイガースは1982年の再結成コンサートには行きました。
『色つきの女でいてくれよ』のときね。

まだまだGAROについて調べまくる日々は続きます。
ネットにある動画はコメント欄までくまなく読み、ファンの方のblogもチェック。
ところが、あれほどテレビに出ていた印象のあるグループなのに、演奏している動画は意外と少ないのです。
多いのはラジオ出演時などの「音だけ」。
70年代前半というと、まだまだ録画する環境はあまりなかったのですね。
家庭用ビデオデッキも普及していないですし。
撮るといったら8ミリフィルムで、それも高価でした。
(つづく)
(文中敬称略)

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