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オープンDの音色を追って 36 ~ボーカルにとってのビートルズ~

(約5分で読めます)

 ビートルズ最後の新曲と言われる『Now And Then』が全英シングルチャートで1位を獲得しました。
 ビートルズの曲として、1位は18作目。
 1963年に『From Me To You』で初めて1位になってからは60年6ヶ月。
 最初と最新の1位の期間が最も長いアーティストとなったのです。
 また、イギリスのアーティストとしては、1位獲得の最多記録です。
 あのもの悲しい曲が……。
 最初は寂し過ぎて「良い」とは思えませんでしたが、何度か聴いているうちに好きになりました。
 歌詞もシンプルな英語なので、自分なりに日本語にしてみたり(『GARO2』リスペクト)。
 以前メロトロンについて調べたとき、それまではオルガンだと思っていた『Strawberry Fields Forever』の前奏がメロトロンの音だと知ったり、tvkのお散歩番組『キンシオ』でビートルズの曲がよく使われていたりしたので、ビートルズサウンドを好きになる下地はできていたのだと思います。

 2013年のインタビューでボーカルはビートルズについてこう語っています。

ビートルズが出てくるまではアメリカンポップスを聴いていた。1964年1月、突然ラジオから(ビートルズの曲が)流れてきた。これは違う音楽が出てきた、別モノが始まったって感じがしたんだよね。『Please Please Me』のイントロ聴いたときに『なんだこれ』って。

「らくらくエンタ」インタビュー 大野真澄

 1964年1月には、ボーカルは14歳です。いちばん良い時期にビートルズと出会っていますね。
 ラジオで洋楽と触れることに関しては、

何を聴いているかというと、歌詞よりはメロディーとか曲の雰囲気。あと、ビートルズは、特に声。
あの声を聴いたときに、最初、男だか女だかわからなかった。聴いた瞬間、ひと聴き惚れ。

「らくらくエンタ」インタビュー 大野真澄

 わかります。
 初期のビートルズは、無邪気に大きい声で歌っている子どものようで、性別不詳っぽいです。それをあまり音質の良くない昔のAMラジオで聴いたら、判別しにくいのも当然かと思います。

 GAROがアコースティックギターを持っているだけで「フォーク(ソング)」と呼ばれてしまったことについては、

ビートルズはノンジャンル。ロックもあればフォークっぽいものもあるし、クラシカルなヴォードビル(そういうことをやっているのはポール・マッカートニーだと思うけど)もあるし。『ビートルズ』というのがジャンル。
ということを日本に置き換えてみると、フォークだろうが歌謡曲だろうが、なんでもいいんじゃないの? いいものはいい。「ウッドストック」だって、ロックからフォークからなんでも出てる。ジャンルを分けるのはナンセンス。ただ、自分たちはフォークをやっているつもりはなかった。どちらかというとロック寄り。
ロックという言葉は当時(ビートルズの曲が日本に入ってきた1964年頃)にはなかった。
バーズ(The Byrds)にレコード会社が「フォークロック」という冠をつけて、それから。

「らくらくエンタ」インタビュー 大野真澄

 これは意外でした。
 コントなどで戯画的に表現される「ロック歌手」って、たいていエルヴィス・プレスリーの格好をしますよね。エルヴィスがプロとして活動を始めたのは1954年ですから、その頃にはもうロックという言葉はあったものだと思っていました。
 この頃アメリカの流行歌は、 

同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、黒人が歌えばリズム・アンド・ブルースに、白人が歌えばカントリー・アンド・ウェスタンに分類されることが常識だった。プレスリーは、黒人のように歌うことができる白人歌手として発掘された。

wikipedia エルヴィス・プレスリー

 ということです。

 あと、昔はロックではなくロックンロールと言っていましたね。

 ボーカルは『学生街の喫茶店』のレコーディングをしている頃に「あさま山荘事件」があったと言っていました。
 あさま山荘事件についてはマークもblogに思い出を書いています。

このあいだ。あるテレビを見てました。
浅間山荘事件。
大きな鉄球がバリバリ窓を壊してました。
すると「学生街の喫茶店」が 聞こえてきました。

また。その時の狙撃隊員だった寺本さんとは。いまはテニス友達なんですよ。ライフルでオリンピックを目指したかたで。すっごくテニスも上手いんですよ。

人生の廻り合いってって不思議ですね。

MARKWORLD-blog「歴史に残る事件と、GAROとお友達と」2009.12.26

 この事件のとき、私は小学生でした。
 鉄球での破壊があった日、生中継をずっとテレビで見ていました。
 小学校の教室でです。
 担任の先生が「これは見なければいけない」と言って、授業中ずっとテレビをつけていたのです。
 ですから、あの日の時間割は急遽一日中「社会」だったことになります。
 今と違って、どの教室にもテレビがあったわけではありません。
「視聴覚室」と、各学年の学年主任の教室にだけテレビ(白黒)がありました。
 私の担任の先生は学年主任だったんですね。
 教室でずっとテレビがついていたことと、鉄球の強烈なビジュアルとで、異様な体験として記憶に残っています。

 
 ボーカルにとってのビートルズは「欠かさず聴いている。ビートルズ自体、古い感じが全然しない。懐かしさがない。新しい発見があって飽きない」とのことです。
 私にとってのGAROがまさにそういう存在です。
 古い感じがしない。新しい発見があって飽きない。
 自分でも感心するほど飽きずに聴いています。

(つづく)
(文中敬称略)

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