生きる
社会人生活が約5か月となろうとしている。
少しずつ仕事とはこういうものだ、プライベートも含めた社会人生活とはこういうものだという感覚が自分にも分かってきた中で、楽しいと思うこともつまらないと思うこともありのままに書き記そうと思う。
体系的に書こうというものではなく、思いついたことをつらつらと書き連ねるだけの自己満文章であることをご理解いただきたい。
まずは4月から社会人になって研修が始まり、6月から本配属が決まり、本格的に仕事が始まった。感覚からいうと、学生時代に経験してきた退屈な授業や講義をお金をもらって受けているようなイメージが近いかもしれない。
当然と言えば当然だが、毎日が楽しくてサイコーですとか反対に、毎日が辛くて仕方ありませんというわけでもなく、まあ普通。学校の授業や講義のときと同じだと思っていて、たまに楽しい内容のときは当然あるが、それ以上に退屈なことが多い授業や講義。なんだかんだ記憶に残っているのは授業や講義が終わった後の部活動やアルバイト、友人との会話や遊びに行った記憶ばかり頭に残っているのは私だけではないはずだ。
社会人になっても仕事自体にうきうきを見出すわけではないが、それでもアフターファイブは楽しみである。ライフスタイルも人・会社それぞれ違うため、以前よりほかの人と遊ぶ機会が減ったのは寂しいことではある。そんな自分は最近、サッカー観戦と実際に自身がサッカーをするという形で趣味に没頭するようになった。
手軽かつ熱中できるサッカーはやはり偉大である。これまで取り組んできたスポーツの中でもダントツでサッカー歴が長いし、面白い。この趣味があるからこそ、次の日の仕事に何とか食らいついていけるといってもいい。
そんな自分も将来のことが不安で押しつぶされそうになったときがある。今の職場で自身の実力をつけることができるのか、正しく自分の努力は評価されるのかといったことを考えると何とも言えない漠然とした不安な気持ちになる。
本来豊かに生活を送るために仕事があるはずなのに、今の自分は仕事のために生活を順応しているという構図になってしまうのではないかという風に考えるようになってしまったし、自分より年上の社会人でそのように感じている人はより多いのではないか。
そう考えると、自分は何のために生きているのかという根源的な問いを自身に突きつけることにつながってしまう。
僕は昔から遊ぶことが大好きだ。何よりも代えがたい時間でその一瞬のために行きていると言っても過言ではない。もちろん一人で遊ぶことも好きだが、自分と気の合う友人と遊んでいるときが最も至福のときである。
そういった時間を仕事はいともたやすく引き裂いてくる。仮に自分が仕事へのスタンスを遊ぶための手段という風に解釈したとしよう。実際、そうあるべきだと考える人も多いとは思うが、実態としてはそうではないことが多いのではないだろうか。
僕は一人で何かを楽しむより気の合う複数人で何かをすることに楽しさを感じる人だ。それが仕事によってなかなか達成しきれないとなると、自分は何のために生きているのだろうか、または仕事をしているのだろうか。
そんなことを考えていると救いようのない不安に襲われる。かと言って、早く死にたいと思っているわけではないし、ここまで育ててくれた両親を今度は自分がサポートしたいという気持ちもある。
そういった何とも言えない気持ちを抱えながら、昨日は大学同期の人たちと居酒屋に行った。結論から言うととても楽しく、またすぐにでも会いたいなと思える時間であった。メンバーが良かったというのが大きい。そういう楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。帰り道、一人で電車に乗り、家まで歩き、部屋にいると今度は喪失感が襲ってくる。楽しかった後に喪失感が来るとは、人間の感情とは何と面倒くさいものだろう。
この喪失感は過去に何度か味わったことがある。小学生のときサッカー大会で初めてメダルを獲得したあの日、中学生のとき体育祭で全身全霊をかけてクラスを盛り上げ、最高の仲間と一丸になれたとき。
あの日の夜は余韻とともに喪失感に悩まされたなと。
しかし社会人となり物事を言語化するようになってから分かったが、喪失感というもの自体はネガティブな存在ではない。むしろ、楽しい出来事があったからこその喪失感であるということに気づき、自然体で受け入れようという風に考えるに至った。
そして、人生とはいかにこの「心地の良い喪失感」を味わえるのかということにかかっていると思う。めちゃくちゃざっくりと言えば、
人生の充実度=心地の良い喪失感を味わえる数
という式が成り立ちそうだ。元々私は飲み会が好きとも嫌いとも形容できないイベントであった。盛り上がっている雰囲気自体は嫌いではないが、何となく輪に入り込めない自分がいるのを実感したとき、「ああ、自分はどうしてここにいるのだろう?」と考えてしまう。
しかし昨日の飲み会を通じて改めて実感した。
気の合う友人少人数で話す飲み会は最高に楽しいと。
文章にすると、なんともありきたりな表現である。
でも私はそのことを強く実感してしまったし、この気持ちを文章で表現したいという気持ちを抑えることができなかった。
飲み会だけじゃない。「心地のよい喪失感」を味わえるように色々な方法があるのではないかと。そしてこの気持ちを味わえるなら人生はまだまだ捨てたものではないんじゃないなと。こんなことを考える土曜日昼である。
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