過去形で語られる彼


まだ私は信じられない。

彼について語られるとき、いつも「過去形」なことが。


なにがあったのか、なにが彼をそうさせたのか、わからない。

だれにもわからない。彼にしか。

でも、

人は死ぬのだ。簡単に。前触れもなく。成功しているように見えるひとでも。


私は、「死を選ぶこと」も人生選択のひとつで、責められることではないと考えている。どう生きるか、という選択と同じだと思うからだ。

だけれど、過去形で語られつづける彼のことは、どうしてか納得ができない。

まだ自分のなかで彼は生きているのだ。

社会全体でへんなゆめをみているような気さえする。


《過去形で語られること》は、なんとなく、わたしの生死観に墨をおとした。

その墨はひろがって、まだわたしのこころをへんな模様に染めつづけている。

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