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本の鮮度(2021/1/2)

いい本は、何百年経っても、読まれ続け、古びることはない。

本というとものは、食材のように、新鮮なほうがいいわけではないし。
ファッションのように、流行りにのったほうがいいわけでもない(流行りにのった本は存在するけれど、流行り廃り関係ない普遍的な内容のもののほうがよいという認識は、まだありそうだ)。

でも、個人にとって、「本の鮮度」のようなものはあると思う。

年末年始は、一つ文章を書こうと思って、好きな小説を読み返そうとしていた。
それがなぜか、なかなか読みはじめられない。

好きだから、楽しいはず。なにしろ冒頭のシーンから好きなのだから。
そう思ってるいたからこそ、気づくのに時間がかかった。
自分がその本を読みたいと思っていないことに。

「読みたい」ではなく、「読まなきゃ」と思っていたのだ。

「読みたい」という鮮度。

人にすすめられて、「わぁそれ絶対読む!」と言ったとき。
書店で冒頭をぱらぱらめくって、これは棚に戻せないと思って、レジまで抱えていくとき。
書評に胸が躍って、Amazonのリンクにすぐとんだとき。

そのときの瑞々しい気持ちを持ったまま読みはじめないと、読書はなかなか進まない。
積読は増えていく。

Amazonのボタンを押したときにあった鮮度が、届く頃にはなくなってしまうことがある。
書店で買って持ち帰ったとしても、積まれてしまう本がある。

ただふとした拍子に、鮮度は蘇る。
それが昨日買った本でも、何年も前に買った本でも。
何十年も前に誰かが買った、実家の本棚の奥にある本が、新鮮にうつることだってある。

今、自分はなにを読みたいのか。 

どうにも読む気が起きない小説を置いて、本棚の前に立ってみた。
自分の声に耳を澄ませてみたら、ビジネス書に手が伸びて、意外だと思った。
小説のほうが気楽に読めるはずという固定観念が、自分のなかにあったらしい。

思い返せば最近、「今週はこれを読む」と計画した読書をしがちで、窮屈な思いをしていたかもしれない。

今、自分はなにを読みたいのか。

今年は、うつろう気持ちを感じとってから、読みはじめる本を選んでみようかなと思っている。

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