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「いつか見たことあるもの」と「目に見えないもの」がそこにあるーーピーター・ドイグ展へ

コロナになってからはじめての美術館へ。
東京国立近代美術館のピーター・ドイグ展。

久しぶりの生の絵。
大きいサイズだったこともあってか、目の前に広がる色に、息をのみました。
本当はマスクをとって、色の前で深呼吸したかった!

この絵の空とか。一瞬でどこか旅に連れていかれたかんじがしました。
小津安二郎の『東京物語』の「計算された静けさ」にインスパイアされて描いた絵だそうです。

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たしかに、静けさ。
去年訪れたときに、ちょうどイースター休暇で、誰もいないクレタ島を歩いたことを思い出しました。

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ピーター・ドイグ(1959-)は、ロマンティックかつミステリアスな風景を描く画家です。今日、世界で最も重要なアーティストのひとりと言われています。彼は、ゴーギャン、ゴッホ、マティス、ムンクといった近代画家の作品の構図やモチーフ、映画のワンシーンや広告、彼が過ごしたカナダやトリニダード・トバゴの風景など、多様なイメージを組み合わせて絵画を制作してきました。
私たちが彼の作品に不思議と魅せられるのは、誰もがどこかで見たことのあるイメージを用いながらも、見たことのない世界を見せてくれるからだと言えるでしょう。本展は、ピーター・ドイグの初期作から最新作までを紹介する待望の日本初個展です。絵画から広がる想像の旅へ、みなさんをお連れします。

この展覧会のオフィシャルの紹介文。
たしかに「ロマンティックかつミステリアス」な世界観に惚れ惚れしました。
チケットにあるこの絵も。
不思議だけど、この世界に浸ってしまいたい…でも、どこかこわい気もする。

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この感覚はなんだろう…と帰ってから考えていたのですが。
「いつか見たもの」と「目に見えないけど感じているもの」が、絵のうえで同時に表現されているからなのかも、と思いました。

先ほどの「静けさ」しかり。
どこかで目にした気がする景色とともに、目に見えない感覚が、「知ってる、そういうかんじ!」という的確さと具体性をもって表現されている。

これは「のぞいているかんじ」を表現したようです。わかる!

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森を歩いていたら、その向こうに「あ、こんなところにかっこいい建物ある」と見つけた瞬間。
コロナ以降よく散歩するから、余計実感があるのかもしれません。初夏の散歩で、丘の上の神社の森から、古い家が見えたときのことを思い出しました。

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この絵はなにかなと思ったら、みんなが帰ったあとのスタジオだそうです。
みんながいた余韻のなかで、画家のインスピレーションが湧く瞬間。

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たしかに、湧いてる。
人のエネルギーの余韻を感じながら、1人でなにかをつくる。そして、また集まる。
私は絵を描いたりするような、一からなにかをつくる仕事ではないけれど。こんなかんじで、仕事をしたいなぁと思いました。

絵を描くスタジオに、そんなに人が集まることある? 
と思ったら、ピーター・ドイグさんは、スタジオに人を呼んで、映画の上映会をするそうです。
絵を描くのは1人だけど、人が集まったあとの余韻が表現に影響するそう(まさにさっきの絵の状態)。

展示の最後には、この上映会のポスターもありました。

スタジオフィルムクラブとは、ドイグがトリニダード・トバゴ出身の友人のアーティスト、チェ・ラブレスと2003年より始めた映画の上映会です。ポート・オブ・スペインのドイグのスタジオで定期的に開催されています。誰でも無料で参加することが可能で、映画が終われば上映作品について話し合ったり、音楽ライブへと展開したりする。一種の文化的サロンのようなコミュニティの形成を目的としたプロジェクトです。
この一連のドローイングは素早く描かれ、建物を共有している人々や近隣住人に上映会を周知するために掲出されました。ドイグがロンドンで親しんできたいわゆる名画座やミニシアターに着想を得て、過去の名作や粒よりの映画が上映作品として選ばれています。

「誰でも無料で参加することが可能で、映画が終われば上映作品について話し合ったり、音楽ライブへと展開したりする」。めちゃくちゃ楽しそう。
このポスター、とてもかっこよかったです。

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『東京物語』や『座頭市』『ピンポン』『羅生門』など日本映画もあって、この映画の世界観をこんなふうに表現するのねと、楽しく見て展示は終わり。
(写真撮り忘れたけど、座頭市、おもしろかった)

行ってよかった!と、心から思える展示でした。
作品のサイズ感、色の混ざり具合、絵具の盛り。生で絵を見る感動を久しぶりに味わいました。
そして、「いつか見たことあるもの」と「目に見えないもの」が同時にあるというのも、スクリーンでは感じられなかった感覚だろうなぁと思います。

アーティストの目と表現をとおして、現実の見え方が少し変わる。
今いる世界とは違うけれど、懐かしい場所に連れていかれる。

私は美術館のこういうところが好きだったんだと、思い出しました。
Netflixも近所の散歩も料理も楽しいけれど、やっぱりがらっと視座を変えるには、アートと旅が必要だなと。

ソーシャルディスタンスはあるし、みんな黙っているし、場所とタイミングを選べば、行っても大丈夫かなという感覚があったので、ちょっとずつ選んでまた行きたいなぁ。

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