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ハラリの記事を読んで、目が覚めた話

あぁ、今日も感染者数が増えてる……

買い出しに行くと、近所の商店街は、人はたくさんいるし。みんなで飲んでるバーもある。いっそのこと、取り締まらないと、ダメなんじゃない?

海外渡航者から感染。旅好きで国境を行き来できることに、喜びを感じてきた人生だったけど。今みたいにグローバル化していなかったら、こんなこと起こらなかったかも。

日々コロナのニュースを見るなかで、無意識にそんなことを考えている自分がいました。

そんなときに、かなりはっとしたのが、『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリのこの記事。

記事は、こんな文章からはじまります。

現在、人類は世界的な危機に直面している。我々の世代が経験する最大級の危機だろう。

この先の数週間、人々や政府の下した決断が、今後の世界のあり方を決定づけるかもしれない。その影響は医療制度にとどまらず、政治、経済、文化にも波及するだろう。

そして、この問題提起に、どきりとしたのです。

第一に、全体主義的な監視社会を選ぶのか、それとも個々の市民のエンパワメントを選ぶのか。
第二に国家主義者として世界から孤立するのか、それともグローバルな連帯をとるのか。

普段は、後者の世界をめざしたい(つまり、個人がエンパワーされて、連帯した社会)と心から思っていて、そんな本や記事ばかり読んでいるのに。

「もっと取り締まったほうがいいんじゃない?」
「やっぱりグローバル化の弊害ってあるのかも」

身近に迫る健康や経済への不安のなかで、自分のなかで自然と望みそうになっていたのは、前者の世界(全体主義的で、孤立した監視社会)だったことに、少し驚きました。

だからこそ、その後につづく、後者のシナリオが、とても響きました。

全体主義的な監視体制を受け入れずとも、自身の健康を守り、コロナウイルス禍に歯止めをかけることはできる。
充分な情報を与えられた市民が望ましいことを進んで実践するようになったとき、監視状態に置かれた無知な人々と比べ、前者ははるかに能力に長け、はるかに好結果をもたらすのが通例だ。
各国は進んで情報を共有し、アドバイスに謙虚に耳を傾け、受け取ったデータと知見を信頼できるようにならなければならない。同時に、医療機器、とりわけ検査キットと人工呼吸器の増産と供給の努力をグローバル展開する必要がある。
各国がバラバラに必要とする資材を生産したり備蓄したりするのではなく、国家間で連携して取り組めば生産ペースも早まり、救命機器の提供ももっと公平になされるのではなかろうか。

人類の歴史を紐解いてきた人だからこその洞察に、そうだった、こういう世界をめざしたいんだったと、思わさせられました。

皆が少し先の未来も、自分の命の安全も見えない状況のなかで、俯瞰した言葉を投げかけること。

ディストピアみたいな日常に圧倒されて、目の前のことしか見えなくなっている人(私のように)に、少し先の未来への視野を開くきっかけをつくること。

長いスパンを観察する研究や骨太本というものは、こういうときのためにあるのかもしれない、と身をもって思ったのでした。


そして、政治や医療、インフラや生活費需品といった、直接的な貢献ができない職業の身として、なにができるだろうと、思いをめぐらせています。

個々の市民として、エンパワメントをされたとしたら、なにかできるだろう?

エンパワメントをサポートするためには、自分の職業ではなにができるだろう?

不安にのまれずに、グローバルな連帯を選んでいられるには、なにができるだろう?

(とはいえ、最近の生活は、そういう真面目な問い2割、在宅なぶんおいしいもの食べちゃえ5割、生産性下がって焦るな3割というかんじです。2割のところは増やしたいけれど、まずは自分のご機嫌をとって、日常をつくるところからかな)


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