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三歳で自閉症と診断された次男が1年半でIQ64→IQ86に上がった記録②

「このままじゃ一家心中するぞォ!!!」

これ一語一句そのまま、次男の三歳児健診で浴びせられた小児科医の名(迷)言である。

このとき次男は三歳三ヶ月。
まだ人間の姿をした宇宙人で、
話は通じないし、発話はほぼゼロ、3秒と座っていられない明らかな多動だった。

三歳児健診と言えば、視力に聴力、簡単な受け答え(「今日はどうやってここまで来たの?」や「今日お父さんはどこにいるの?」などに答えさせる)、積み木で何かつくらせる等、発達の経過を見られ、身長、体重、頭囲を測り、栄養相談、歯科、内科と盛りだくさん。周りを見ればみなお行儀よく座っていられるお利口さん。この時点でメンタル散々。もう追いかけるの限界、誰か助けてくれよぅ南無三!

終盤の内科検診までの道のりですでにズタボロだったが、私はこの次男になんとか診察を受けさせようと必死であれこれ手を尽し諭した。

それも虚しく、泣き喚き暴れるエイリアン次男。

さらにそのとき私の背中では、3か月前に大きな手術を受けたばかりの心臓病三男が、
何事かと青黒い唇を震わせ、チアノーゼを全身で表出しながら泣いていた。

エイリアン次男を羽交締めにする私も半分泣いていた。

目の前の小児科医はなぜか怒っていた。

一瞬魂だけが俯瞰して、こりゃ地獄絵図だな、と思ったりした。

その小児科医は、この地域では過激派で有名ではあったけど、
三男の病名を訊いて慄き、普段の様子を知って嘆き、私の負担の大きさ、次男に知的な遅れもあるのではという見立てを早口で話して、その場にはいない市の職員に対し憤慨してくれた。

何とかしてあげないとこの家族はダメになるぞ、で、冒頭の「一家心中」発言である。

結局どの検査もろくすっぽ受けられないまま、もの凄く疲れて帰宅。
次男を部屋に開放し、三男をおんぶから降ろしたら、涙が溢れてきた。
「一家心中」の一言が頭の中をこだまする。

そっか、私はそんな過酷な状況下にいるのかと、気づかされてしまったのだ。
日常すぎて、当たり前すぎて、慣れすぎて、大変なことも大変と思えないほど麻痺していた。

だってね、三男が生まれてこれまで、毎日往復2時間かけて三男の面会に行き、駆け足で帰って、夕方、保育園、幼稚園とチャリを走らせ迎えに行き、急いで夕飯をつくって食べさせお風呂に入って寝かせ、週末は三男に付き添って病院に寝泊まりした。狭くて硬い小児用ベッドに横たわりながら、夫と家に残してきた三人の子のことを想う、そんな日々だった。

その頃に比べたら…と、今思い出しながら、ああ、私よくぞご無事で、と思っている。
気づかないことこそ、幸せなのかもしれない。

でも、あの衝撃発言があったから、やっぱりこの子にはもっと支援が必要だ、と動き出すことができたので、過激派先生には感謝している。

一歳半健診から目をつけられていたこともあり、もともと発達支援センターにはお世話になっていたのだけれど、さらに「医療相談を受けたい」と申し入れた。何かしらの診断が出るならもらおうと思った。

紹介状を手にし、そこから初診までが長い。
どこの病院も初診予約がいっぱいなのである。半年先なんて当たり前、酷いと10ヶ月先までいっぱい。

児童精神科医についての、過激派先生の感想を思い出す。

「あいつら、1時間に一人しか見てないくせに、忙しぶりやがって」

なるほど、1時間に一人しか診察できないなら、そりゃ予約もなかなか取れないわな、と。

で、ようやく初診に辿り着いた4カ月後。次男三歳七ヶ月。緊張しながら、初めて児童精神科の門を叩いたのであった。

つづく。

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