「新解釈・三國志」は確かにクソ映画だが、他人の評価は当てにならない。

新解釈・三國志を観た。酷評だらけだったのでどんだけクソ映画なんだと思いながら観たが、個人的には面白かった。いやまぁ確かにクソ映画であることには変わりないし、真面目な三国志ファンが見たら激怒するような内容だとは思った。

しかし、この作品は三国志を描きたくて作った映画ではないようなので、激怒するのはちょっとお門違いという気もする。後から知ったがこれは大泉洋の素のキャラを気に入った福田雄一監督が、彼に役作りをせずそのまま演じてほしいと思ったことがきっかけで作った映画だそうだ。

その題材に選ばれたのがたまたま三国志だったのかなと私は思う。それを考えるとまぁこんな内容になるよなぁと妙に納得したのだ。福田雄一監督といえば、「今日から俺は」や「銀魂」の実写化を成功させた人物として一部のオタクの間では評判が良いのではないかと私は思うのだが、この作品はそんな福田監督の世界観がここぞとばかりに詰め込まれた即ち「福田版・三國志」とも言える。

私は昔、コーエーが制作しているゲーム「真・三國無双」シリーズを好んでプレイしていた。このゲームは三国志の史実に大いに脚色を加えたアクションゲームである。言い方は悪いが、所詮は二次元なのでキャラのデザインや性格設定などはかなり奇抜でぶっ飛んでいる。そんな三国志のゲームをずっとプレイしてきたことで、この「福田版・三國志」を何の怒りも湧かずに素直に楽しめたのではないかなと思う。

なので、この作品を素直に楽しむことができるのは、「普段からぶっ飛んだ設定の作品に慣れている人」または「福田雄一監督の作品が大好きな人」という二種類の人間に絞られると思う。そしてこれは一番重要なのだが、この作品を見るにあたって三国志を好きか嫌いかは別として「三国志の大まかな史実を知っていること」が大前提である。三国志を知らない人には間違いなく全くウケない作品だと思う。酷評が多いのはそれも要因のひとつではないかと私は思う。

この作品は西田敏行さん演じる学者が新しい解釈の三国志を講じるという設定で話が進んでいくが、その範囲は劉備が関羽と張飛と共に「桃園の誓い」を立てるところから「赤壁の戦い」までである。中でも有名な戦いやエピソードをピックアップしながら進むストーリーが分かりやすくて良かった。

三国志の最大の特徴は登場人物が非常に多いことである。人物が覚え切れないから苦手だと言う人が多いぐらいだ。確かにそれは頷ける。が、この作品では三国志におけるその最大のデメリットを「人物に濃厚なキャラを付けをする」ことによってメリットに変えているのがとても良い。三国志をギャグに落とし込むことによって自由自在にキャラ付けができるようになり、それが登場人物一人一人を生き生きと見せることに繋がっているのである。物語を作る上で登場人物のキャラ付けはとても重要で、私も小説を書く時に人物設定に四苦八苦することがあるが、この映画でそれを改めて学ばせてもらえたと思う。

私は三国志では、主従関係を重んじ最後まで劉備と蜀のために全力で戦い抜いた天才軍師・諸葛孔明が好きなのだが、この作品ではそんな天才軍師が実は頭の切れる鬼嫁の頭脳に頼って仕事をしていたというトンデモ設定が付いたキャラになっている。演じるムロツヨシさんの「普段はアホそうなのにいざという時にめっちゃ真面目になるし頼りになる。だけど、実は全部嫁のアイデアだった」という天才を装ったアホ軍師という役柄が凄くハマっていて絶妙な味付けの諸葛孔明だった。

同じく蜀に所属する将軍・趙雲。蜀一の強さを誇る武人だが、とんでもないナルシスト。演じるのは三代目 J SOUL BROTHERSの岩ちゃんこと岩田剛典さん。私は月9ドラマ「シャーロック」を見てから岩ちゃんにとても好印象を抱いたのだが、演じる役者によってはとてもうざいキャラになりそうな趙雲を素直に演じていて、その様子がとても可愛いかった。自分のことを「イケメン」「モテる」とどや顔で連呼しているのだが、それすらも可愛いと思ってしまう何とも不思議な趙雲だった。そして、戦の場面では本格的なアクションに挑戦しており、その姿は圧巻でとてもかっこよかった。

この作品のきっかけになった大泉洋による劉備は、終始やる気のないダメダメ君主で、演技をしているのかいないのか分からないぐらい素の大泉洋だった。

大の戦嫌いで何も仕事をしない最低君主の劉備。しかし、実は史実の三国志の劉備も似たようなキャラなのだ。まぁさすがにここまでやる気のないダメ人間ではないが、常に平和を願って戦は好まない。それ故に戦や身の振り方がとても下手なのである。諸葛孔明がいなければ間違いなく劉備は蜀を建国できなかったのだ。なので、大泉洋の劉備が一概に本来の劉備とかけ離れている、と言えなくはないのだ。

私が劉備のキャラで特に良いなと思ったのは「普段はダメ人間だが、酒を飲むと気が大きくなり、周りの人間を鼓舞する力がある」という設定だ。このおかげでダメ君主にもしっかり人徳があるということが分かる。そして、そのもうひとつの顔をクライマックスまで引っ張ることによって作品がとても盛り上がる。「酒を飲むと人が変わる」というエピソードを随所に散りばめて出し惜しみすることで「この人のもうひとつの顔を見てみたい」という楽しみが生まれる。上手い手法だなぁとここでも物語の演出方法について学ぶことができた。

しかし、私がこの作品で嫌悪を感じたのは数名の役者に対する容姿いじりのギャグが入っていたことと、孔明夫人の口調が汚かったことだ。容姿いじりギャグについて役者は理解の上で引き受けたとは思うが、見ている側はあまり良い気はしない。この容姿いじりギャグは日本だけの文化のようで海外では全くウケない。基本的に日本人は他人に優しく誠実だと言われるが、こうした差別的表現を何の悪びれもなく使ってしまうのは日本人の最大の欠点だなと私は思う。因みに私は渡辺直美は可愛いと思っている。

孔明夫人は橋本環奈ちゃんが演じていたが、孔明を尻に敷く鬼嫁という設定だからかとても強気なキャラだった。凄みを出そうとしたのだろうが、口調が「お前」「じゃねえの」など不良が使うような汚い言葉ばかりで、少し引いてしまった。「銀魂」でもこういう口調を喋るキャラは沢山いるが、あれは原作通りなので別に問題はないと思う。(嫌な人はいると思うが)三国志の世界で煌びやかな衣装を身にまとった女性キャラのイメージをあまり壊して欲しくはなかった。鬼嫁設定はそのままで良いので口調は女言葉にして欲しかった。非常に残念。

最後に主題歌に関してだが、福山雅治さんがとても良い曲を提供していて凄く驚いてしまった。主人公・劉備の「平和と民の笑顔の為に大嫌いな戦に赴く」という複雑な心情を表した力強い曲だった。見終わって「はぁ~最高にくだらないなww」(褒めてます)と思っていたところだったので思わず面食らったが、あまりのかっこよさに素直に感動してしまった。台本を読んでこの曲を書いたとのことだが、こんなクソ映画にも関わらず大真面目にこのような素晴らしい曲が書ける福山さんやはりプロのミュージシャンである。

とまぁ色々書いたが、酷評だからといって必ずしも退屈だとは限らない。何故なら感想など人それぞれだからだ。確かにこの映画はあの三国志をくだらないギャグで固めたクソ映画だ。だけど、それを普通に楽しめる人間もいる。「他人の評価は当てにならない」この映画は改めてそれを私に教えてくれたのだった。

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