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胃痛のときにはじめて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識されるはずのものではなく、まして食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、カジ屋はちゃんとカジ屋の仕事に専念していられるのである。

三島由紀夫『一つの政治的意見』

この言葉を嚙み締めた、10年だった。

私はほんとここんとこ、保守側の言葉のほうが響く。ちゃんとした、まっとうな保守な。まあ実際保守が強くなりすぎたら、嫌だなあああって言ってるに違いないんだけど。マッチョ男性が苦手なの(見た目じゃなくて性格)でも今は、まっとうな保守がちょっと懐かしい。新自由主義とセットになってる新保守主義じゃなくて、きちんとあの辺にアンチな、まっとうな保守が。

(保守とは)欲求の火を焚くことではなく、その火を消すことである。

オークショット

とかな。あー心に響く。

男にはマッチョ保守とかの受け皿があるんだけど、ほんと女にはこういう受け皿が無いのが困る。私はずっと、女のこういう受け皿を探してる気がする。新自由主義でも新保守主義でも家父長制でもない、まっとうな保守の女の受け皿。保守って言うと、家父長制と直結しちゃうからあかんのか。保守とは近代の対抗として後から生まれた態度であって、

保守的であるということは、見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むこと、試みられたことがないものよりも試みられたことがあるものを、神秘よりも事実を、可能なものよりも現実のものを、無制限なものよりも限度のあるものを、遠いものよりも近くのものを、有り余るものよりも足りるだけのものを、完璧なものよりも重宝なものを、理想郷における至福よりも現在の笑いを好むことである

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というのであれば、家父長制も特に関係ないし、女にも出来そうなものだ。大地に足をつけて根を張りたい気分。試行錯誤は、足元が盤石でなければ出来ない。家父長制に保守になりたいんではなくて、アンチ新自由主義なんだと思う。その、受け皿が無いんだ。しいて言えば白魔女だ。魔女。フェミニストウィッカ。1960年代サブカルでアンチ家父長制&アンチクライスト&アンチ資本主義。『西の魔女が死んだ』の魔女。あの魔女になりたい。

昔は政治なんか全然意識してなかったから、それなりに胃はちゃんと動いてたのね、みたいな気もする。まあいろいろ当時だってあったんだろうけど、若いうちは気にしなくてもなんとかなってた。

これからは、若い子のほうがたぶんだいじょうぶ。

みたいな話も聞く。気軽に言っていいのかわかんないけど。期待させたらごめん。そんな話も聞くんだ。経済敗戦って言うからね。敗戦してしばらく経つと、やっぱり若者が主役で持ち直してくるもんだから。

私たちは、すごい時代を生きてるなあー。まあ、頭の上を銃弾が通ってるよかマシ、ってよく思ってるんだけど。そういう戦争よりもずっとマシだし、御の字だ。ひとまず子供に迷惑あんまりかけないように頑張ろう。そして、できれば無事に子供のセーフティネットになりたい。


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