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家父長制って家父長制で痛い目に遭ったことがないとわかんないんじゃないかな?新自由主義も家父長制なんだけど、新自由主義がどうしても認識できないエリートが多いのでそう思うのだ。女性のエリートたちも、あんまり家父長制で痛い目に遭ったことが無いんじゃあないかなあ?

私もうすぐ50歳なんだけど、この年齢だと若い頃は家父長制ガッツリだった。26歳ぐらいで「行き遅れ」って伯母から言われるのだ。もはや死語だと思うんだけど。たとえばそこで「女の幸福は結婚だけじゃないもん」とか言えば嫉妬してるって言われる。伯母だけじゃなくて、仲の良い友達、周囲の短大卒の女性たち全員そんなかんじなのだ。周囲まるっと、20代も後半になると女性は行き遅れで賞味期限が切れてる、みたいな話をされて当然の状況なのだ。それを悔しい、と感じるほうがどうかしている、みたいな話を、まじめにされる。女性の評価軸が結婚と子供しか無いのだ。

でも、やはりそれを言われるのは田舎育ちで短大卒だからだと思う。同年代でも東大とか出てると親も社会的な大成を期待してるから、「26歳で行き遅れ」だなんて言ってこないだろうし、周囲もそうは思わないんじゃあないかなあ。短大卒みたいに、結婚と子供をやたらめったら期待されたりしないのではないか。子供産んでないってだけで、周囲からすごい勢いで不憫に思われたりしないのでは。

新自由主義って家父長制だよなあ、と思うのは、売れない漫画家の居場所がない、みたいに思うことだ。私としては、すごい売れてるなってかんじではない漫画家さんの漫画も好きなので、あんまり関係ないっていうか、売れて面白いひともいるけど、売れなくて面白いひともいるよね、みたいなかんじだ。自分のこともそう思っている。売れる売れない以外の評価軸を持っている。結婚して幸福なひともいれば、結婚しなくても幸福なひとはいるよね、とか、子供がいて幸福なひともいれば、子供がいなくても幸福なひともいるよね、とか。女性の幸福に関して、結婚や子供以外の評価軸を持っている。だいたいもう50歳とか過ぎてくると、伴侶との死に別れが出てくるし、かわんねーよ。

価値観が売れるか売れないかというその軸だけで決まってきてしまってて、それ以外の価値みたいなのがまったく尊重されなくなっていく、反論するとこっちが悪いとされる、あのかんじが家父長制なんだよ。もちろんそれに異議申し立てをすると、「嫉妬してる!」って言われるから、みんな言わないわけ。嫉妬してるんじゃないもん!って言えば、負け惜しみって言われる。エンドレスだから最初の言葉を言わないわけ。売れなくって居場所なくてつらい、みたいなのはたしかにあるんだけど、まだ仕事あってよかった!!みたいなほうがわりとうわまっている。なにせ短大卒なのだ。短大卒ってもう安いパートしかないよ。この歳になるとパートもないよ。日本の女性差別舐めんな。

エリート女性は最初から勝ってるから、家父長制で悔しい想いをしたことがなくって、だから新自由主義の家父長制も感じ取れないんじゃあないかな?私はいつも負け組なので、いつも家父長制感じてる。新自由主義も。

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