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昔から思ってたんだけど、ポストを読んでて上の句と下の句が矛盾するタイプのポストをするひとたちがいるんですよね。ほとんどネトウヨなんだけど。

最初、自分が馬鹿だからなんべん読んでも意味がとれないのかな?って思ってたんだけど、何年も読み続けて「その人たちってそういう精神性」なんだろうな、と思うようになった。デフォルトで思考回路が捻じれていて、それに矛盾を感じてない、という精神性だ。洗脳状態。

ポストって、自分が思っているよりもずっとずっと情報量が多い。読み取れるひとにはいくらでも深く読み取れているのだろう。それは私もなんだけど。私も読み取られているだろう。

生活を隠したい、という意図、とかね。こう思われたくない、という意図とか。読んでいる人間をこちらに誘導したい、という意図とか。まあ、私も30年近く物書きプロでやってるからなあ。そのくらいのことは読み取れる。昔から、行間を読み取るのは得意なのだ。

最近TRA側のポストを中心に読み漁っている。ネトウヨとは違うんだけど、独特の違和感がある。憎しみだけは異常に強い。GCに憎しみを叩きつけている。憎しみにぶるんぶるん振り回されている、というかんじだ。GC側はわりと冷静沈着でデータをたくさんとっており、分析がうまい。しかし、悲鳴をあげている。そりゃああげて当然の状況だ。

最近、TRA側も、追い詰められて悲鳴を上げ気味になっている。ひとからの同情を寄せたい欲望が見える。怖いのだろう。そりゃあ怖いだろうな。あれでは。TRAでもリベラル知識人には、異様な浅薄さ、みたいなものがあって、それも気になるところだ。浅いのだ。なにもかも。物事を深く掘れないなにかがあるのだろう。あの浅さはなぜか猛烈な憎しみに転化しやすい。突如ひとを鋭く憎む。

私は意外とネトサポは怖くないのだ。どれほど罵倒していても、なんだか空なかんじがする。政治の話をすると大量のアカウントにフォローされるんだけど、だいたいどれがネトサポなのかがわかる。最近は慣れすぎて、アイコンとプロフィールだけでわかるようになった。それでさくさくブロックしている。はっきりと共通点があるので。

工作をバイトでやっているひとは生活が見えにくく、情報も統一感がある。こまめにデータや翻訳を出してくる。あーこのひと工作のひとだな、と思っても、私もリポストすることがある。いやいや、翻訳こまめに出してるけど、バイトじゃないよ、というひとは、ポストにそういう気配がある。感情がにじむのだ。

上手い工作のバイトさんは、そこまで演じ切るだろうけど。

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