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天空のサマン

「天空のサマン」というドキュメンタリー映画を観てきた。満州族のシャーマンのドキュメンタリーだ。ちょうど連載中の漫画に描いていたので、取材。満州族のシャーマンじたい、ものすごくマイナーなので、ネットでも書籍でもほとんど資料が見つからず、かろうじて映画の宣伝は見かけたけど本物が観られなかった。たまたま吉祥寺で放映されたから、という理由で見てきた。たまたま監督のトークショーもやってたからたまたまサイン会でサインしてもらってきた。

内容は、今はもう絶滅しそうな大陸のシャーマン文化と、それを言語ごと無くしそうな満州族の御年寄たちの、伝統を残さねばならん、という熱い想い。いろいろ考えさせられたし、面白かったんだけど、トークショーで「日本はお祭りとか残ってますよね」と話をしてたけど、え、そうかな……?と思ってしまった。言語も200年前の日本語が現代人に通じるとも思えないし、残ってないのでは。

巫女舞で有名な浦安も豊栄も近代の舞だ。神道は特に、明治維新と敗戦の影響が色濃くて、似たかんじの見栄えの良いなにかは残ってるんだけど、基本的に近代の価値観で再構築されているものを伝統だと思っている可能性が高くて、逆に危なっかしいのだ。あれ、伝統ちゃう。明治なんか巫女禁止令でとるし。かなり慎重にルーツ調べないといけないと思う。胡蝶の舞とか蘭陵王とか古い舞もあるけど、左舞(大陸から伝来したもの。出だしが左足から)だよなアレ。右舞は朝鮮半島伝来だ。神社本庁の息がかかっていない地方のさびれた神社とか、漁村の神社とかのほうが、中央や観光地に近いところよりも、古い舞が残っている可能性がある。淡路島とかだ。神道は、華やかで小綺麗で清潔感と透明感があって中央や権威に近いブランド物のほうが、新しい舞や儀礼だったりするのだ。それっぽい美しいもののほうが歴史が浅い。小汚くて胡散臭くて埃っぽくて汗臭くて闇があるのはたぶん古い。古いことは古い。

そして経験上、古い舞は格好悪いので若い子はやりたがらない。九州の筑紫舞とかだ。あれ、古代の宮廷舞って噂があるほど古くて、九州古代王朝説とかあるくらいだ。でもちょっとなんていうか野暮ったい。たぶん満州サマンもそんな理由で後継者がいないのだろう。わかる……。日本もそんな感じだからだ。古くて土着の民俗文化は年寄りがやり、近代の華やかで高尚なカッコイイかんじのはスピ系やネトウヨに回収される。要はサブカル臭がしてくる。伝統はたいてい古くてババ臭くて年寄り臭いのだ!そういうのも、年寄りになるとわかってくる。盂蘭盆会の祭壇ぐらい毎年ちゃんと作ってから伝統伝統言え。あれは古い。そして広い。地元のお祭りボランティアで手伝って、口うるさいジジイムカつくーーーー!!他家の嫁をコンパニオン扱いしてんじゃねえぞ、みたいなのがないと、なかなか伝統は受け継いで無いと思う。美味しいとこどり出来ないのが伝統だ。

この映画では、まず、3日間の祭りで豚3匹を生贄として潰していた。その人数で何匹食うつもりだ!みたいなかんじだった。あれ前近代は人間だったのではないか。日本もわりと近代まで人間生贄文化はあったらしい。シャーマニズムは現代にも必要、人間性回帰!みたいなのは痛いほどよくわかるが、相当わかってるメンターがいないと裏目にでやすい。メンターのストッパーが無さすぎて、ヤバいカルトになりがちで、無闇やたらと出来ない。サブカル臭のするカルトが最も危なっかしい。うまく現代にいい感じであの民族的アイデンティティやらメンタリティを持ち込むにはどうしたらいいんだろうね?とか、とにかく色々考えさせられました。

ひとまず私の伝統は、季節の催し物と家庭菜園か。おせち作ったりとかー家庭料理。ああ、太巻きとか上手に作れておうちも庭も仏壇も清潔で綺麗な主婦になりたい。あれが私のひとまずの伝統だからだ。noteなんか書いてる場合ではないのだ。そんな気分にさせられた。


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