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現実が分岐して乖離してしまった。

と感じたのは今に始まったことじゃなくって、少なくとも8年も前だ。他のひとと分岐して乖離してしまって、完全にはひとつにならない。レイヤー状に重なってるんだけど、同じ層にはいない、というかんじか。最初の頃は特に途方に暮れて、立ちすくんでいた。

同じ層のふりは出来るんだけど、完全に同じにはならない。一応、重なってるけどズレている。相手も私に対して「なんか言いようがない違和感」を持っているだろう。それはしかたがない。私のほうが強烈な違和感なので。レイヤー移動しているかんじもするが、もともとは違うレイヤーで生きている。ちょっとした嗜好の違いでTwitterのアカウントを分ける、あのかんじだ。アカウントを分けて別のクラスタに入ると、もう共有しているタイムラインが違うから、見えているものも違う。そんなかんじで、現実が乖離してゆく。

この違和感が始まったのがずいぶん前からで、でももうすっかり慣れきってしまった。昔も本当はこんなふうに、ひとによって見えている現実は違っていたのに、同じだ、という共同幻想を持っていただけなのかも。

私の仲間である、と思うのは、この、現実が乖離していることを知っているひとだ。同じレイヤーに生きていなくても、現実はいくつものレイヤーで構成されており、その複数のレイヤーをいったりきたりして日々を暮らしているひとだ。私が仲間ではない、と思うのは、現実は乖離していなくて、たったひとつしかない。乖離してると思っているひとはどうかしている、と思っているひと。

宮台真司は数十年前に、このレイヤーのことを島宇宙、と呼んだ。島宇宙は最初は近く、移動が容易かったけれど、今は遠い。これからもっと遠くなって、移動が難しくなるのかもしれない。


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