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ここんとこ立て続けに韓ドラのドロドロ復讐系を観ていた。あまりにもたくさん観ててタイトル忘れたんだけど、まずザ・グローリーかな。

https://www.netflix.com/jp/title/81519223

セリフ回しが最高に良かった。手練れの脚本家が作っているのだろう、という、そつのなさ。なにもかもが行き届いていた。最後の最後まで。
直近はセレブリティ。

主人公の女の子が清楚で聡明でとても良かった。あとなんだろう?

シスターズとかかな。役者さんが上手くて存在感があった。他にも大量に似たやつを観た気がする。復讐ドロドロ系。もうタイトル覚えてない、みたいな勢いで観ている。

そして最近日本のドラマで似たようなドロドロ系を見つけた。主人公が私の好きな永野芽衣ちゃんで、日本ドラマあんまり観てないんだけど、観てみた。

https://www.netflix.com/jp/title/81511743

や、芽衣ちゃんは可愛い。原作未読。しかしすごい違和感がある。その違和感の理由を一生懸命考えてしまう。だいたい同じようなかんじなのに、なにが違ってこんなに違和感があるのだろうか。

最近韓ドラでドロドロものが流行してるんで、ドロドロものの原作持ってきて、ドロドロものを創りました!みたいなドラマだ。いや、それを責めているわけではない。商業ではよくやるし、私もよくやる。全然悪くない。

私は翻訳モノをよく観てるので日本語だから違和感があるのとも違う。最近の韓ドラ、一話に入っているエピソードがちょっと多めで、4/5ぐらいが一話分、というかんじで、残りの1/5にもうひとつエピソードが入って引き、というかんじ。ちょっと慌ただしいな、という印象なんだけど、たくさん観ているうちにすぐこっちの体感がそのリズムに慣れてしまう。それが最近のメディアの怖さだ。Webtoonもそう。引きって言うのは、次の話を観たいと思わせるエピソードを、物語の最後にいれること。いれてるんだけど、それを二つ以上重ねろ、と言われるんだ。

私は仕事で引きを重ねることを求められて、最近断った。不格好だな、と思ったんだ。物語のカタチとして。でもそーいう問題でもないのか。多めにエピソード入れて多めに引き、のリズムに視聴者や読者が慣れてしまうならば、それに従わないと、違和感を感じてしまわれるのだろうか。

韓ドラは昔から観てるんだけど、昔はね、泣かせるシーンはアホほど長かった。もう、本当に、アホほど長いのだ。ここ、泣いてくれます?みたいなシーンは、本当に、まだやるのか、まだやるのか、まだ泣かせるつもりなのか!!みたいな勢いで長かった。製作者側の意図がはっきりしているのだ。あのひとたちが、ここを観て!と思っている場所は異様に丁寧で長い。それは最近もある。ザ・グローリーでは、ヨム・ヘランという中年の女優さんの、DV受けている中必死で子供を守ろうとする母親役をやっており、彼女のシーンが不自然なほどに長い。アップも多い。顔の表情が異様に長いのだ。ここを観てもらいたいんです!!このひとの演技、すごいでしょ!!ここを撮りたかったの!!と製作者側が熱く語っているのがわかる。自信があるのもわかるのだ。女優は若い美女だけじゃないんだよ!!このひとの演技、観てよ!!みたいなね。それに心意気みたいなのを感じるのだ。

今回の御手洗家は敵も味方も女だらけだ。それも韓ドラに多い。男はお色気担当ってかんじなのだ。日本はずっと逆だったんだよ。男同士のドラマで、女がお色気担当だった。ネット上の書き込みが現実を左右するのも、最近の韓ドラでよくある展開。年上の女の悪役の存在感で思い出すのは、『善徳女王』だ。あれも大変な存在感だった。もう15年以上前の韓ドラか。

この頃すでに、主人公も敵も女で男はお色気担当は韓ドラでは確立していた。日本は15年ぐらい経ってようやく、ネトフリで売れる売れないの問題で、しぶしぶとジェンダーを考え始めた。

違和感っていうのは、技術の問題じゃなくて、なんていうかこう、意識の問題かもね。自信とか。

でも芽衣ちゃんは良かったよ。


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