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多様性の時代

ネオリベラリズム(新自由主義)って経済政策の上に社会システムなんだけど、それよりもまず洗脳な気がしてならん。

漫画家の中にいると、売れない自分は価値がない、みたいな話を大量に聞く。確かにあんまり売れないと仕事がなくなっちゃうので、それは困るし、その延長線上で売れる売れないは自分の価値の問題、みたいに思うのもわかるけど、果たしてそれは真実か。

全然売れてないけど好き、みたいな作家さんはいないのか。

私はいる。たくさんいる。私自身も売れてないけど、売れてないけど好きって言ってくれる人もいる。それでとてもありがたい。

売れないと価値がない、と言うのはネオリベラリズムによる洗脳だ。それは新自由主義の価値体系。例えば、家父長制で「子供3人産んでない女なんか価値がない」って言ってた政治家がいたけど、それと大差ない、強烈な洗脳だ。そんなんで自分の価値を決めたらいかん。それで仕事があったりなかったりするから、差別だ、とは言えないんだけど、でもその価値体系だけが真実ではない。私だって仕事がうまくいかないと凹むことだってあるんだけど、その価値観体系が真実ではないことはわかってるのだ。そう思うのはたぶん、私が古株のフェミニストだったからではないか。たとえ自分の周囲9割がたが「子供3人産んでない女なんか価値がない」と言い出しても、私は全然そうは思わないし、「売れない漫画家は価値がない」と言われても、私は全然そうは思わない。むしろそれを女性や漫画家がご自分自身に対して言ってたらびっくりする。あなたどこでそんな刷り込みを!?って。どうしても子供3人産みたかったり、どうしても爆発的に売れたい人はそうだろうが、それだけが人間の価値、みたいなのはやっぱり行き過ぎだと思う。

家父長制による洗脳が、ただのフィクションであって真実じゃない、みたいな認識がようやくされ始めてるのに、ネオリベラリズムの方は、まだまだ認識すらされない。認識されない方が深刻だ。

それに、昔は漫画業界って商業のレイヤーがひとつで、同人界は同人界であったけど、なんとなく別業界だったのだ。その商業漫画界一つのレイヤーにヒエラルキーがあるかんじだった。今はレイヤーが細かく分かれてて、それぞれにヒエラルキーがあるかんじだ。どうしても商売なので、売れる売れない=ヒエラルキーはできてしまうけど、昔と比べたらその分小さいチャンスは増えた気がする。商業と同人誌の境もとても曖昧だ。よほどの情報通しか、全体がよくわからない。ごく身近の作家たちしか見えないのだ。具体例は言いづらいが、ひとつのレイヤーでダメでも、別のレイヤーで花開く人たちを、私は今までたくさん見てきた。そういう意味で他より全然チャンスのある業界かと思う。契約とか曖昧で、ビジネスとしていまいち確立してない、みたいな気もするんだけど、兼業できちんと他に収入源があるならば、趣味でもずっと描き続けてもいいんでは?その方が好きなものを自由に描けていいかもしれない。歳をとって足腰が弱ったり目が弱ったりしても、座り仕事でパソコンで出来るだけで、とてもありがたい。

その、「やたらレイヤーが増えちゃった」みたいなのもたぶん新自由主義の影響だ。ネットで稼ぎ方が多様になった影響もあるだろうが。新自由主義=別名グローバリズムは、小さな政府で社会福祉が爆縮するから、そのせいで生活のために多くのフリーランスがリスクヘッジしないといられないんだ。いくつもリスクヘッジをするのが、レイヤーに見える。グローバリズムの進んだ新興国の働き方ってこんな感じよね。インカムをたくさん増やして、どれか一つダメでも生活が大きく崩れないようにしておかねばならない。

自分はどうしてもこのレイヤーじゃなきゃダメ、という人もいるだろうが、そうでない人がその価値観に付き合う必要もない。私たちは多様でいいのだ。働き方も多様。漫画の愛し方も多様。価値観も多様だ。

新自由主義に適応しても、しなくてもいい。なぜならあれもフィクションだから。


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