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間違える大人

私は「間違えててもいい」ってよく思うんだよ。

間違えることを恐れすぎて意見を言わないよりも、「これは白か黒かさんざん悩んでたんだけど、これこれこういう根拠があったので私は白のほうを選びました」と言ってくれたら、間違えててもそれでいい。って思うんだ。そのひとはその時そう見えたんでしょ。絶対一生間違えない、みたいなひとのほうが気持ち悪いしね。野球の打率程度でいい。

選ばない、とか、考えない、みたいな大人のほうが困る。

考えないで周囲に合わせる、とかも困りものだ。一生懸命手持ちの材料で考えぬいて、自分にはこう見えるんだけど、と思ってるひとは他人を冷笑したり嘲笑したりしないものだしな。他のひとの意見も謙虚に受け入れられるんではないか。それが正しかろうが間違えていようが。

誠実さ、が欲しいんであって、正確さが欲しいわけではないんではないかな。とにかく、一緒に考えてほしい。一緒に、ウロウロと思考を歩き回って欲しいんだ。今でもそういう語り口のひとに惹かれてメルマガや書籍買ってる経済学者がいる。語り口が好きなのだ。小説含めても、こんなに文章が好きって思ったひとあんまりいない。

そういう先輩の大人が欲しかった気がする。ずっと昔から。そんなこと考えているうちに、すっかり自分がいい歳した大人になってしまった。

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