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自分の年齢が年齢だというのもあるんだけれども、この年になってみるとわかってくることがある。

全ての人が規格内の大人になるというのは無理なことはわかっているんだけれども、ありとあらゆる手を使って最大限の人数の人間を、大人として成熟させることでしか、社会というものは存続できないのではないか。

本当は、世の中には成熟したくない人の方がよっぽど多いのではなかろうか。誰だってケアする側にはなりたくない。ケアしてもらう子供の側でいたい。ずっと。ずっとだ。そういう人は、自分はトランスエイジなので自認に従ってくれ、って言うに決まっている。これから無数の人間たちがそれを言うことになるのだ。大人になる側、ケアする側は、どうしたって立場の弱い人、または、差別される側になってしまう。

サブカルっていうのは、メインカルチャーがしっかり盤石にあるから安心してできるんだね。サブカル業界で数十年働いてすっかりいい大人になってしまった自分ですけど、そう思う。

たぶん、社会の存続を言うのであれば、成熟した大人を作らないといけないんですよ。

もう手遅れでしょうけど。



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