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武器としての『資本論』読書感想

5月から株式相場がすごく不安定だ。異次元金融緩和の終焉、と囁かれている。日本だけでなく、日米欧だ。資本主義の大きな山場のひとつになりそうな、激しい動き。


この本、答えがはっきり出てなかった。

新自由主義の件、今に始まった話でもないので宇沢弘文はじめとした世界の著名の経済学者たちがこぞってポスト新自由主義、ポスト資本主義を模索してるんだけど、わかんないんだ。安冨歩さんの言葉も載ってたんだけど、要はみんなどうしたらいいのかわかんない。

わかんないんだよねえー。

で終わってた。

でもなんとなく、しいて言えば答え、あっちのほう……?みたいなかんじはしている。

特に印象に残ってるのは、イギリス飯糞マズイ、という話だ。身もふたもないんだけど、どうもイギリスの飯がマズイのは昔からではない。19世紀の資本主義発明あたりから糞まずくなったらしい。特に、農民が近代資本主義によって大地からひっぺがされて彷徨うようになったら、それまであった食文化が消失してしまい、一度壊れた文化はもう元には戻らない、みたいなかんじでその後200年ほど、飯がマズイ。まず、こんな糞まずいパンをよく客に出すな、という域でマズイらしい。

なんだろう、想像を絶する。

日本はだいたいなに喰っても美味い、とよく聞くので、その点、かろうじて文化が守られてきたんかな。みたいに思いながらそれを読んでいた。食文化って、すごい生活に密着してるから、逆にまずいままでいることのほうが難しいんではないか、と思うんだけど、それでも200年くらいまずいってすごいなイギリス。イギリスって、変な国だよな。行ったことないんだけど。すごい保守的に見えるんだけど、国民を守らない、という印象がある。伝統を守る、と言うけど、食文化も守らない。普通、伝統を守ってたらそうはならないのではないか。他国侵略して植民地大量に作ってたから、じゃあ国内に貧困は無いのか、と言われたら、国内の貧困格差が酷い。戦後、英国病=金融抑圧で国民の財産を犠牲にしながら長期間衰退したのも、「他国民にもすごい厳しい国なんだけど、じゃあ自国民に優しくするかって言えば、全然しない」みたいな感じがすごいする。今の日本の保守ってあんなイメージ。保守っていうくらいなんだから、自国民ぐらいきっちり守って、国内の貧困格差ぐらい無くせばいいのに、貧困格差めっちゃめちゃ広げるのだ。自己責任という言い分で。

保守っていつも、なにに対して保守なんだろう?と思うんだよね。保って守る、と言うわりに、独自の文化も民族の存続も保って守らない。多国籍企業に規制緩和して国内の労働者の生活を守らない。日本民族守ってたら少子化とかならんからね。国土も日本企業も守らないから、あれほど外資に買い尽くされてるわけだし。家父長制のシステムを守っているのか、と言われても、それも守ってるようにも見えないしなあー。新自由主義であんなに弱者男性増やしておいて家父長制保守、って言われても困るし。全然家父長制に適応してないひとが保守ぶるのを見かけることも多い。あれが不思議でしかたがない。あの人たち、なにを守ってんのか。何を守ってたら、保守を自称してもいいの?みんな、どの辺を保守と呼んでいるのだろう?


私から見たら、コモンを守るのが保守だ。

その土地に暮らすひとが、ひととして豊かに尊厳を保って生きていくための社会的共通資本を守るのが保守だよ。近代に対して懐疑的。


私は農地を買って守って子孫に残そうかな。そんで野菜作って、料理して、美味しい美味しいと言って食べる。

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