同業者の知人さんが、私が漫画のことについて書いたの読みたいと以前おっしゃっていたので、それを念頭にtwitterのほうに流したところ、まったく想定外にたくさんのかたに読んでいただいちゃってびびり、そんな理由で今、前回の記事はちょっと下書きに戻してる。考え中です。そのうちなにかの拍子に再度アップしてるかもだけど、次は告知はしないと思う。あるいは鍵付き=有料。

まず、ジェンダーって言ってもひとさまに通じたことが無い状態が長かった。うっかり説明なんかしようものなら『日本には女性差別なんか無い!!』と男にも女にも叱られた。それに加え、今は女性のマゾヒズムを批判する言説がSNSでチラホラ見かけるようになった。セクシュアリティ差別はいけないんじゃなかったのか。そんなかんじで、言いたいことはあっても炎上しないで書くのが果てしなく難しい。そのくせ最近は、にわかに猫も杓子もジェンダー!みたいになってきた。なにが起こっているのか。カオスが過ぎる。

フェミニズムの本は20年前はそれなりに読んでたから、フェミニズムのフの字も知らないド素人さんが地雷踏むほど踏みやすくはないだろうとは思っているけれど(しかしルッキズムは私はよく踏む)、今のフェミニズムはいにしえのフェミニズムとはいろいろ勝手が違う。新自由主義台頭がでかい。そのうえ、ジェンダーは、現政権バックにいる新興宗教団体群も絡んでくるんだ。2000年前後のバックラッシュ騒動がそうだった。あの辺もそれなりに調べたけど、とにかく闇が深い。そして怖い。ジェンダーを語る多くのひとは、ジェンダーもセクシュアリティも『結局は政治の話である』ということに、まだ気が付いていないように見える。大昔から、ジェンダーは大衆洗脳装置なんだ。『だってこれが普通でしょ』と相手に生き方の変革を迫る。そうやって、国民のマジョリティのライフスタイルを動かして行く。だからこそ、ジェンダーフリーという形で多様性を受け入れていく、という考え方が前提でないと、すぐにプロパカンダに使われてしまう概念なんだ。そして今、新自由主義ゆえに権威は国家や政府だけではない。フレイザーのネオリベラル・フェミニズムへの警戒心は、そこがおおもとだと思う。

ところで、話がズレるんだけど、私はよく、今の社会的混乱はマゾヒズムのセクシュアリティにそっくりだ、と考えている。

マゾヒズムのセクシュアリティを獲得している女性の多くは、自分のセクシュアリティ矛盾してるのは知ってるから、セクシュアリティに合わせて伴侶を選ばない。そんな嗜虐的なDV夫と結婚したら人生台無しだからです。適当にフィクションで性的嗜好を間に合わせる術を知っている。でも稀に、自分のセクシュアリティに合わせて人生を壊してしまうひともいるのです。歪みが大きすぎてフィクションだと間に合わないんだろう。

日本は与党が親米保守だ。親米と保守、上の句と下の句が捻じれて矛盾しているのを、矛盾していない!!と言い張ってアメリカに尽くしてきた。マゾヒズムのセクシュアリティにそっくりだ。そのうえ、セクシュアリティに振り回されて人生ならぬ国という概念を壊してしまう。倫理も損得勘定すら無い。あれは、性的嗜好。セクシュアリティだ。セクシュアリティというプログラミング。プログラミングの解除が出来ない。どうしても。このプログラミングは、おそらく植民地主義と関係しているんだろう。

と、また余計なことを書いてしまった。





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