やっぱり家父長制
そんなかんじでフェミニストなんだけど、この数十年の新自由主義政権で国民の暮らしがだいぶ壊されたので、自民党に対しては「昭和時代の日本に戻せこのやろうっ」みたいに思ってるんですが。
昭和の家父長制のしんどさもよく覚えている。
たとえば私の若い頃は、結婚しないで働きたい、みたいな話が通用しなかった。旦那さんが結婚したら仕事をやめてって言ってるから、みたいな理由で漫画家をやめさせられた女性作家さんを知っている。子供産んでも働きたい、みたいなのも難しかった。男に選ばれるのが女のステイタスだったから、女ひとりの生き方がある、だなんて言おうものなら男たちに負け惜しみと馬鹿にされていた。
今冷静になってアレを分析すると、なんか今とあんまり変わらないなって。
①価値観を家父長制に一元化
②多様性多様性言うけど多様性を認めない
➂自分自身の価値は他人が決める。自分自身には決める権利が無い。
みたいなやつ。
人生ってほんといろいろなので、たとえば前の夫がDV野郎だったから、今度の旦那は優しいのでそれだけで幸せいっぱい、みたいな奥さんに対して、「子供がいなくてかわいそう」みたいな価値観の一元化=という名のハラスメントをしてくるのが、いわゆる家父長制だよね。あるいは大病してたんで生きてるだけで御の字、みたいなひとに、家がアパートでかわいそう、とか言ってくるやつな。仕事頑張ってても、結婚してなくてかわいそう、と言われたりとか。反論すると独身女の負け惜しみって男女ともから言われる。他の価値観とか思考を、一切許さないかんじ。人間の人生の奥行きシャットアウトされているかんじ。価値観は家父長制のテンプレしか許さん、みたいなところ。自分の心が自分の幸福を決めるのだ、みたいな話、絶対許さん!!みたいな、そういう話だよね。
ネオリベラリズムってだいたいそれや。今だってだいたいおんなじノリだよな。あれ、やっぱり家父長制じゃん。
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