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負け犬の遠吠え

我々団塊ジュニアの若い頃は家父長制がきっちり動いてて、だから、家父長制の抑圧をリアルに感じた世代だ。たとえば、

〇26歳で結婚してないと、親戚にいきおくれって言われる。

〇肉じゃが作って家で待っていてくれる女と結婚したい。

〇女は若くてでしゃばらないほうがいい。

〇フェミニストはモテないブス

〇女は恋愛のことしか興味が無い。

〇結婚出産していない女に価値は無い。

〇働く女性は職場の花

〇水商売の女は汚い

〇多淫な女性の体は穢れている

〇働く女は生意気

みたいな言説が、普通にまかり通ってた時代だ。ジェンダーの話をすれば「日本には女性差別なんか無い!」って怒られる始末。もう、同世代の女性から怒られまくった。自分の同級生がもうそんなかんじなわけですよ。あれを真面目に言ってた連中、今も生きてるはずなんですけど!?ってよく思ってる。私は当時、家父長制に猛烈に怒ってて、家父長制さえなければ女性がこんなに苦しまないのでは!!?って思ってたくらいだ。女性が、結婚出産にとり憑かれたみたいになる時期があって、その時期が一番つらい。それを、つらい、と言っても世間様に全然通じない、というのも、すんごいつらかった。摂食障害もやった。摂食障害っていうのは緩慢な自殺だ。家父長制がつらすぎて摂食障害やるほどつらくっても、つらいと言っても世の中のひとに全然通じないのがまたつらい!!!みたいな、そのエンドレスだったんだけど。

世の中のひとに言っても通じない、というのは、家父長制の文化的洗脳に洗脳されきって、それが文化的洗脳である、と気が付けないひとが多い、という意味だ。私は今もその手のタイプのひとが苦手だ。文化的洗脳が気が付けないタイプが苦手。基本、そこまで文化的洗脳に洗脳されまくってしまうタイプのひとっていうのは、権威主義なのだ。偉いひとのいうことはまるっと正しい。マジョリティの言うことはまるっと正しい。正しかったらひとさまにとにかく押し付けてもいいのだ。その価値観でひとさまを断罪してもいい。というタイプのひと。相手が摂食障害になろうとも気にしないし、理解しようともしない。男も女も関係ない。26歳の私を「いきおくれ」と罵っていたのは、伯母だ。そのことに、1ミリも疑問を持たない。そういう、思考停止したタイプが苦手だ。あんまり近寄らない。いや、脱兎のごとく逃げてしまう。

で、ここからは新自由主義の話なんですけど。

この20年ほどの自民党の新自由主義政策で、日本が長期間低迷して貧困格差が広がり、弱者男性が増えて、家族再生産すら難しくなって少子化になりました。

みたいな話、別に陰謀論ではないと思うんですよ。岸田首相とかも言ってるし。他の野党党首も言ってるじゃん?

新自由主義は家父長制を叩き壊す勢いで入ってきた経済政策で、先鋭化した資本主義なんだけど、家父長制と同じように、社会システムなんですよ。日本はこの20年で、福祉国家の社会システムから新自由主義という社会システムに組み替わった、と言ってもいい。社会システムなので、それに過剰適応したジェンダーが必要になってくるわけ。家父長制には家父長制に過剰適応したジェンダーがあったみたいにね。

私は、家父長制の文化的洗脳に洗脳されきって他人を断罪してくる人が、心底嫌いで軽蔑してたのですが、それとまったく同じように、新自由主義の文化的洗脳に洗脳されてきって他人を断罪してくる人が嫌い。積極的に関わり合いになりたくない。だって、言っても全然通じないんですよ。話が。

こっちはこの20年、さんざん家父長制の文化的洗脳とつきあってきたんです。新自由主義の文化的洗脳に気づかないわけがない。適応しないと生きていけないから多少はするんだけど、過剰適応なんか絶対しない。うわあー嫌だなあーーーーーーみたいなかんじで、新自由主義の文化的洗脳にはつきあっている。

基本、そこまで文化的洗脳に洗脳されまくってしまうタイプのひとっていうのは、権威主義だからだ。

偉いひとのいうことはまるっと正しい。

マジョリティの言うことはまるっと正しい。

正しかったらひとさまにとにかく押し付けてもいいのだ。

その価値観でひとさまを断罪してもいい、というタイプのひと。

相手が貧困になろうとも気にしないし、理解しようともしない。

そのことに、1ミリも疑問を持たない。そういう、思考停止したタイプが苦手だ。

今も昔もそれは変わっていない。

そんでね、今はジェンダー論の政治フェミニズムの分野が新自由主義とジェンダーの関係について論文をいっぱい書いてるんだけど、

https://www.zenroren.gr.jp/jp/koukoku/2020/data/280_02.pdf

本来ならば、新自由主義被害者一大派閥の弱者男性から、新自由主義批判が出ないといけないと思ってるんです。でも、寡聞ながらあんまり見かけたこと無い。たぶんそれは、男性側のほうが新自由主義の文化的洗脳に染まりやすくて、新自由主義批判すると

負け犬の遠吠え

って自分でも思うからではないか。そういう、心理的抵抗感が大きくて自民党の新自由主義政策がスコトーマ(盲点)に入ってんじゃないかな?って思って見ています。

いいじゃん、負け犬でも。

自分、負け犬でもいいのだ!!!!

負け犬の自分にも、生きる価値はあるのだ!!!

みたいな開き直りがないと、社会システムの文化的洗脳になんか、気が付けない。

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