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『紙の月』は恋愛モノか

ずいぶん以前に若い男性の担当さんが『紙の月』は恋愛モノ、とおっしゃっていたことがあって、私は『紙の月』大好きで、特に映画の宮沢りえ版大好きです。でも、恋愛モノかと言われると、?ってなる。

えええ、『紙の月』は恋愛モノじゃないだろ、と思ってその反論をメールで書いたんですよ。

『紙の月』は主人公が夫や社会への当てつけのごとくに若い男に入れあげてお金を横領する話で、女性誌の恋愛はもっと純化して相手のためを思うことだから、『紙の月』は恋愛が出てるけど恋愛モノではないです。

というメールを送った後に、自分の恋愛の概念がおかしいのでは?みたいに思いました。なんかあの本思い出すな。

恋愛の超克 小谷野 敦 https://www.amazon.co.jp/dp/4048836439/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_Zv7IFb90BXRR0

恋愛という概念の歴史の本で、意外と近代なんですよね。恋愛って。結婚と恋愛が結びついたのも近代なんすよー。資本主義とわりと関り深かったり。もとは貴族の奥様と下男の道ならぬ感情が恋愛=ロマンティックラブ・イデオロギーであって、夫婦間にかならずしもあるものではなかったらしい。いや、おしどり夫婦はいつの世にもあったとは思いますが。どっちかっつーと日本も不倫愛が恋愛というかんじだったんだってさ。旦那さんと芸者さんの間が色恋というやつで、たいてい肉体関係が伴い、奥さんとの間は恋愛ってかんじじゃなかったらしい。プラトニック・ラブ、みたいに、精神的なもんはどうだったかなあー?読んだの昔すぎて覚えていない💦

この辺誤解が多くって、日本女性の歴史的な見方は斎藤美奈子さんのモダンガール論が面白かったです。前近代の下流階級の女性は出産しようがなにしようが馬車馬のように働かされて早めに死ぬのが当たり前だったそうで、その人たちからみたら専業主婦は憧れだったんだろう。今は新自由主義のせいでそこに戻りつつあるのね。現代は「女性の人権の話をしてたらいつのまにやら生存権引っこ抜かれてた」みたいな謎の時代ですよねほんと。。。

そういやうちの明治生まれのひいおばあちゃんとかそれぞれの家の兄妹の妹を取り換えっこして結婚していたからな。見合いが普通だし。下手すると村とか祭りで乱交だし。

特に最近は女性誌の影響で恋愛という概念が純化しすぎていて、すんごいピュアピュアに相手のことを想い続けてないと恋愛とは言わない、みたいになりがちだけど、本当はもっとラフなかんじで良くって、「ムカつくあの野郎への当てつけに恋愛した」みたいなのも恋愛でもいいのかもしらん。てゆうか、普通のひとはそうなんだろう。この数十年、女性誌ずっと描いてた自分を基準にしてはならぬのだろう。

同じように髭男のPretender聴くたびに、

あなたのそれは本当に恋愛なのか!?見た目が好きだったって話!!?

と膝を詰めて問い詰めたくなりますが、たぶん私が恋愛という概念を間違えている。私よく恋愛モノの曲を聞くたびに心の中でツッコミ入れてるんです。


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