接続された女

クリエイターの自我ってのは、つよい。もう、つよつよだ。アホほどつよい。強いのがデフォ。

「自我がよわい」と表現した場合、たいていそれは、自我が未発達、という意味だ。未成熟、というか。大人になるにつれて固くなるはずだった自我が、いまいち未発達でよわい。あのひとは押しによわい、みたいなかんじ。

しかし、まれに自我が強いけど、一部異様に脆い、みたいなひとがいる。私は基本的に自我は強いというかきついほうだ。クリエイター長いからな。

私が「うっかり接続してしまった」「うっかり共鳴しとる」みたいになるひとは、自我はめっぽう強く、カリスマと才能が際立っていて、しかし、異様に一部、自我が脆い部分があるひとだ。いきなりひとと溶けやがる。脆いのは先天的に脆いのか後天的に脆いのかはわからんが、私から見ると「自我が脆くて危ういな。大丈夫?」というかんじがする。その一部の脆さに引っ張り込まれるのだ。あの自我の矛盾がカリスマであり才能なのかなあー。私はまったくそんなかんじではない。ただ、隙が無い、というほど自我が強くないだけだ。自分はわりときちんとあるけど、若干押しに弱いひとです。

うっかり共鳴、というのも、説明しにくいんだけど、たとえば一曲でワンフレーズとかメロディがあるじゃない?同じ業界で長くやってたひとならば、そのワンフレーズの和音はこれで、ピアノが入ったらメロディはこれ、ギターはこれ、ベースはこれ、ドラムはこれ、って、わかるわけでしょ。そのフレーズのパターンを知ってるわけだから。突拍子もない和音を合わせたりとかしないわけですよ。このフレーズだったらピアノはこんなかんじで次にこっちの楽器が入ってサビはたぶんこんなかんじでしょ?ここでサックスのソロが歌い上げるとカッコイイよね、みたいなのがジャズじゃん。所詮ジャズ・セッションですよ。共鳴って言ったって。

それが高じて、ひとつのメロディの違う楽器のパートを弾いてしまっている。それが共鳴。普通のひとは、ピアノはピアノの音色しか、ギターはギターの音色しか聞いてないから、それが合わさって一つの曲になっていることがわからない。それぞれの曲は全然違うので、パクリにもならない。相手のパートを聴いて、おおなるほど、そう来たか。その展開だと次は当然こうだな、という形で、インスピレーションを刺激しあう。

自我がやわやわで自分が無いタイプとは全然接続しないんだけど、一見強いうえに一部脆いから接続してしまう。全部強くて隙が無い、みたいなタイプとも接続しない。

SF評論家の小谷真理さんの『女性状無意識』みたいだ。内容全然覚えていないけど。あれは、『接続された女』の話ではなかったか。ティプトリーJr.も数冊読んだんだけど、これを読んだかどうかも思い出せない。あてずっぽうなので、全然違うのかも。

私が読んだのはこの辺。

そしてこの辺。


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