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渡り鳥の友人は他にもいるんだ。渡り鳥ネットワークだ。母親ばかり。

あの時も「なぜ女ばかりなのだろう?」と思っていた。そういえば。しかし、「この仲間でいたい」と強く思ったのを覚えている。私はこの流れの中にいるのだ、と。どれほど世間から罵られ、逸脱しようとも。

渡り鳥ってのは安全ではない。海を渡るので心臓に負担がかかる。外敵に襲われやすく、予想もつかなかった事故や病気にも遭いやすい。まったく安心安全でもないのだ。得なんかろくにないかも。でも海を渡らずにはいられないから渡り鳥なんだろうな。それでも生き抜いた個体が種をつないでいくのだろう。まさにディアスポラだ。撒き散らされた種。

私も、いつも自分は死ぬかもしらん、と思っている。渡ることを幸福だとは全然思っていない。どれほど幸福を願ったとしても、だ。何度も神に祈った。自分が死ぬことなんかもう、たいして怖くはない。家族に災いが降るのを恐れている。自分の選択が間違えていたのかも、悪い結果に出るのかも、と、常に震えている。怖くてたまらない。いつも。

渡り鳥のたとえ話は、たいへん慰撫されたわ。自分が渡り鳥だと思えば、まだ、耐えられる気がしてきた。

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