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仕事になるといきなりネオリベくさくなります。

元カツマーなもんで。

商業漫画は仕事のレイヤーと、精神的な表象のレイヤーがあって、他にもいくつもレイヤーはあるんだけど、大別してそのふたつを視野に入れて動いている。仕事は数字メインのレイヤーなので、その文脈でいかんともしがたいことがあるのも知っているが、仕事のレイヤーだけあれこれ判断しているわけではない。精神的な表象のレイヤー、というか、そっちの文脈も常に読んでいる。

2000年代からサブカルやらカルチャーやら全般が、個人の精神的な表象から距離を置いたと言われる。クリエイターすらも、自分の内面を表象することに価値を置かなくなった。ハリウッド型の脚本術は脚本家のチームでネタを出しあって作っていくから、個人の精神的な表象は反映されづらい。それでも社会的な問題が表出してたりとかはする。意識的か無意識的かはわからないけど。

2000年代初頭ぐらいまでは、少女漫画は作者のトラウマを追うのが簡単だった。読み取れるんだな。漫画読んでると。でも、しだいにそういうものとはかけ離れていって、思いこみたいなにかを呪文のように唱えるかんじになっていった。今は異世界メインだ。さらに表象から遠くなっている気がする。トラウマ的な問題を扱っていても、内面から血が噴き出しているようなかんじではない。傷が見えないから、企画段階で誰かが入れたのかも、と、そんなことを思いつつWebtoon読んでいる。

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