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その時代のその国のその民族、その集団にありがちなトラウマのパターンがある。それがサブカルに反映されやすいんだ。

たとえば24年組の少女漫画には、家父長制による女性のトラウマが反映されやすかった。その時代の女の子たちは、多かれ少なかれ似たような抑圧のもとで生きていたから、トラウマのパターンが似てて、それが少女漫画に表象されて、同じ少女に共感されていく。不思議なんだけど、そのトラウマのパターンはその時代特有のものでありながら、それを描いた作品には普遍性が出やすいみたいなんだ。長い時代残りやすい。人の世の抑圧とそれに対する感情はあんまり変わらないってことなのかなあ。

社会学の中にフェミニズムがあって、フェミニズムの中にジェンダー論があって、ジェンダー論の中にやおい論がある。やおい論っていうのは、「なぜ私達はやおいに萌えてしまうのか」というのを研究する、腐女子のためだけの学問なんだけど、それが社会学にとどまらず、文学、歴史、政治史、思想、文芸評論、文化人類学、民俗学など、いくつかの学問を横断しないと修められない。社会学の学生さんたちがよく論文で扱った。それが20年以上前だ。書籍も結構出ている。題材がフランス構造主義など多岐にわたるので、私も全部理解できているかっていえば全然理解できない。レヴィ・ストロースとか全然知らんわ。サルトル?ニーチェ?インテリすぎて私にはわからない。エリート中のエリートでないとわからない学問なんだ。まあジェンダー論じたいがそんなかんじなんだけどさ。

それを、その辺の社会学者じゃなくって腐女子がやる学問なんだ。そう思うと笑っちゃうでしょ。でもすごく真面目に論じる。

Juneで書いてた栗本薫(中島梓)先生と竹宮恵子先生も、実はこの辺に関わっていて、小説道場がずいぶん取沙汰されていた。

少女漫画や少女小説の中に表象された、個人的かつ社会的な傷を語るんだ。痛い。だから、本当にその話が出来る腐女子はマイノリティだったし、人に言えば怒られた。私、いつも怒られてしまうんだ。

この20年、新自由主義でだいぶ変わった。特に新自由主義によってジェンダーが動かされた。

私にも傷はあるし、その件に関してはまだふつふつと社会に怒っている。

怒ってるからこんなnoteなんかを書いてるんですけど。しかしそういうトラウマは持ってると自分のために良くないことも知っている。だからなんとか手放さねばならん。しかし難しい。

私の傷は社会的なものなので、私だけのものではないけれど、私と同じような形で多くのひとが表象するようには見えないんだ。いずれサブカルにも表象されるだろう、と思って見てるんだけど。表象はされずに欠落しているかんじがする。日本人は、一番酷い傷は欠落しやすい民族だ。やおいから「女」が欠落してしまうみたいにな。

戦後政治は、傷ばかりだったから大衆に欠落してるんだろう。

普通、人間っていうのは痛いと逃げるし傷からは目を背けるものなんだ。しかし、稀に『痛い』と『なぜ痛いんだろう?』と凝視してしまうし、傷があると観に行ってしまう、という変人がいる。私がそうだ。かさぶたはひとまず剥がして血が出てドキドキしちゃうタイプだ。普通にマゾなんだろうと思う。痛いと逆にそこから目が離せなくなっちゃうタイプの変人なんだ私。腐女子の中でも、やおい論ってそういう変人がやる学問。

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