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私も正義や人権はとても大事なものだ、とは思ってはいるのですが、正義や人権というものが、帝国-植民地主義による侵略戦争においては停止されてしまうことも、身に染みてよくわかっている。
奴隷貿易を始めたのは人権や正義の意識の高いアングロサクソンだ。それを反省している、と言ったとしても、経済侵略と名高い新自由主義政策は今現在進行形だ。日米FTA、日英FTA TPP、RCEPなど、日本は幾重にも自由貿易の契約をしている。資本主義じたいに帝国主義が組み込まれている、と言ってもいい。経済侵略と戦争はセットでやってくる。アメリカの数々の軍事侵攻は、いつも人権と正義を大義名分としている。人権、正義を謳いながらも、侵略戦争に関してはそれらを停止させてしまう、そのアングロサクソンの二面性を無視して話をするわけにはいかない。
日本はかつて、日本国内で奴隷貿易が盛んであったことを隠蔽してしまった。日本国内では聞かないけれど、海外にはたくさん資料が残っているそうだ。からゆきさんも含めた人身売買の歴史。
戦国武将は娘50人と火薬一樽を交換した。森の中を歩いている鹿かなんかみたいな扱いだ。扱いはむごい。たしかにこれは家父長制だけど、家父長制にしたってドメスティックな話ではない。帝国と帝国の取引の話だ。帝国と帝国が、その辺の野良の奴隷を捕獲してきて貿易に使った。そこに「守る男」はいない。村娘を守る、同じ共同体の家父長は存在しない。いてもおそらく、娘を奪うために殺されてしまったか、自分が生きるために黙ってしまったか。
この構図は、今もだ。
帝国が自由貿易という名の経済侵略をするとき、植民地側の人権も正義も停止されてしまう。
帝国-植民地主義で最も典型的とされている事件は公害・薬害事件だ。タスキギー梅毒実験をあげよう。
これは1930年から1970年の、40年という長い月日に行われた、白人が行った黒人への人体実験だ。医療レイシズム。この40年の間、白人が人権や正義の話をしなかったか、と言われたらそんなことはないのだ。帝国-植民地主義の根底にあるのは人種差別なんですよ。他の人種、他の共同体の人間は、人間ではない。人間ではないから、人権も無いんです。
今のこの、日本社会の不具合は、帝国主義に食われてるように見えるのだ。統一教会も含め。新型の植民地主義に見えるんです。帝国主義は家父長制じゃん、って言われるとたしかにそうなんだけど、ドメスティックな家父長制ではない。帝国主義に対抗できるのは、他の帝国なんだろうか?同じように人権と正義を振りかざして、奴隷相手にはそれが停止されてしまう?「人権や正義の話が嫌い」と言っているひとたちは、アングロサクソンのこの独特の欺瞞が嫌いだ、と言っているんではないかな?私は、同じ民族の家長が守ってほしい、と思ってしまう。『うちの子になにすんだ!』って。子供を守ってくれる、同じ民族の保守の男が欲しい。
「守る男」が。
いや、守る女でもいいんだけど、女は言われなくても、いつだって子供は守ってるんですよ。もうとっくに。
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