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朝から劣化ウラン弾とG7のせいで激怒してしまって疲れた……。

https://sputnikglobe.com/20230519/ukraines-depleted-uranium-blast-europe-on-brink-of-environmental-disaster-1110462939.html


これはロシアの公式報道で、プロパガンダかもしれない。アルジャジーラでも一応報道されていたが。スプートニクの記事を読んだのはさっきなんだけど、朝、私が激怒しながら書いていた内容によく似ている。劣化ウラン弾を使われるロシアにも酷い被害が出る話だが、使う側のウクライナにも被害が出る。ウクライナはNATOの味方ではないか。なぜそんなむごいことをするのか。植民地だからか。イギリスの凶悪っぷりがすごい、という話。朝の記事は下げてしまった。あまりにも怒ってたからだ。

こういう大きいことにすごい腹が立って、でも実際は、自分の周囲はすごい些末なことで世の中は回っているのだ。そのギャップにクラクラする。自分が植民地主義による被害を一生懸命避けて生きていても、世の中はそんな理屈はいつだってまったく関係がなく、違う文脈で回っている。先鋭化した資本主義で回る世界の中で、評価されたりされなかったり、見下されたり、逆に見上げられたりして生きている。本当にそれが私の価値なのだろうか、本当にそれがその人の価値なのだろうか、と迷い、戸惑いながら。レイヤーが違うのだ。人によっても違うし、個人でも何枚ものレイヤーがあって、複数のレイヤーをまたがって生きている。

よくそのギャップに、途方に暮れている。私だけ、異邦人な気がするんだ。

世のひとはそんな話をネットでせずに生きているだけで、実際では考えているのかもしれないよ。自分だけ見ている、と考えるのは傲慢だろう。それでもなんだか、立ちすくむ。あまりのことのでかさに。我々の直面しているのは、近代国家の終焉なのだろう。近代国家が崩壊していても、なにごともないふりをしていることに、独特の忍耐がいる。痛みでいえば鈍痛が続いているようなかんじだ。noteは私の、鈍痛による小さな悲鳴だ。

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