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こころがヒリヒリするときは『トッケビ』を観る。大ヒットした韓ドラのラブロマンス・ファンタジーだ。派生の番外編もある。

わりとファンタジーが好きだ。リアルなものにちょっとファンタジー要素が入ってる、みたいな話が好きで、普通に漫画でもよく読む。ファンタジーは、綺麗ごとで済んでいるからかもしれない。

私はユメユメしい話が好きだと思うな。でも、業界的には、あなたの生々しい話が読みたい、みたいな話をされる。人間の醜さや苦しみを描くのが得意だと思われている。情念を描く作家だ、と言われたことがある。情念かー。

『トッケビ』には死神が出てくる。悲しい過去を背負った、ものすごい美青年だ。その死神は、いつも死んだひとを迎えに行くのが仕事なわけよ。その死神の仕事の短いエピソードが、劇中劇みたいに作中に数多出てくるの。

死神は、突然死しちゃったひとにはとても親切だ。死に別れてつらい思いをした死者には、その相手に会わせてあげるし、悪い奴には悪い奴、強欲で傲慢な人間にはそれ相応の報いの死後があり、誠実な人間には誠実な対応をする。いつも死者に対する小さな思いやりがある。ごくごくつつましやかで、平凡な人生を送った人間に対する、敬意があるのだ。子供が死んだときには悲しみを添える。それが礼儀みたいなかんじで。

それがね、韓国人の人間性だな、と思うんですよね。

特別にすごい人生なんか送らなくってもいいんだよ。

みたいな、地味に、ひたむきに生きている人たちの人生への、肯定があるんですよ。名もない人たちへの、人生の賛歌があるんです。

あなたはなにも悪くないよ。あなたは立派に生き切ったんだよ。それは、すごいことなんだよ。という、平凡で、ひたむきで、誠実な人生への、肯定ですよ。真面目に生きたんだよ。生き切った。財産もないし有名でもないけど、それのなにが悪いの。っていう。

韓国人と日本人が一番違うのはアレで、アレが普遍性を持って全世界に受けているんですよ。

平凡なひとを大衆と呼ぶけれど、私は「ひたむきに生きている平凡な人たちを馬鹿にする人たち」が、逆に、悪い意味での大衆だと思うんです。

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