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『モブサイコ100』の感想

うちの子と旦那が先にはまってて、私が後からコミックス読んだりアニメ観たりしてたんだけど、大変良い漫画であった。うちの子はラストがバタバタっと終わっちゃった、と言ってたけど、私はこれでいいと思うな。

最初は割と説教臭い話だよなあ、って思ってたんだけど、ラストまで読んで、思春期にふさわしい漫画だった。思春期の子が読んだらさぞ救われるであろう、と思った。うちの子がこれを読んで、面白い、と言ったことがとても嬉しい。良い漫画だった。少女漫画はかつて、『ベルサイユのばら』とか『風と木の詩』とか名作がたくさんあったけど、あれも「思春期の女の子が読んでどれほど救われただろう」と言われた。名作の漫画は人を助けるのだ。心理的に。私もずいぶん救われた。この漫画はうちの子の力になって、人生を手助けしてくれるだろう。モブならこう考えた。モブならこう乗り越えた、モブならこう許した、自分も人も。と、人生の節目に思い出して、寄り添い、併走してくれるだろう。少女漫画の名作が私にしてくれたように。

作画としては正反対なんだけど『東京喰種』にも通じる。あちらの方が男性的で、モブサイコの方が中性的かな。それでも、男の子の悩みだな、と思うことが多かった。最近の男の子はさぞ生きにくいのだろう。なぜ女ばかりが取り沙汰されるのか。女には女の難しさがあるけれど、男には男の難しさがあるだけだから、男の方も見てやればいいのに。

力を持て余すのだろう。男性性、そこから発生する暴力性、万能感、みたいな圧倒的な力を持て余し、しかし、たおやかでソフトでなければならず、それを統合しながら、膨らむ虚栄心や傷ついた自尊心を宥めながら、なんとか生きていかなければいけないのだろう。ひとや女性を傷つけるかもしれない恐怖とその欲望があるのだろう。律は家族を、エクボは友情を、霊幻とは大人や社会との象徴的な関係を描く。ツボミちゃんは異性だ。最後まで地に足をつけて生きることにこだわった。人にとって最も大事なのは、思想やフィクションではなく、どこまでも生活だ。これを忘れると、もう真っ当に、健康に、生きていくことなんかできないのだ。しかし世の中はいつだって、フィクションという煙幕が立ち込めている。そのフィクションには勝ち負けがあって、人はそれで苦しむ。若いのにこれがわかっている人間は、謙虚で聡明だ。いつだって、その時代の若者が最も聡明なのだろう。

ヒロインのツボミちゃんが大変良く、面白かった。少年漫画でこんな女が出るようになったのか、と、大変感慨深かった。強い女なんだけれども、結局、モブを異性と認識しなかった。しかしそれが理想的な関係であることは、多くは語られない。女性が女性を気遣うように、男性が男性を気遣うように、女性と男性が互いのことを気遣えることができたなら、おそらくそれが最も長続きして幸福になれる関係だ。男性側もようやくそれがわかってきたんだろうね。モブにはそれができるだろう。今のアラサーあたりぐらいからは、きっとそういう関係が当たり前に築けるんだろう。うちの子にも、ツボミちゃんのような強くて見る目のある女を目指してもらいたい。

女性が若い女性を救う物語は、今はどんな形なんだろう。昔はヤオイであったり、女性ジェンダーを拒んだものが多かった。今は女性であっても拒まれない。私は救われたのだろうか。私の苦しみは、解放は、どういう形なのだろう。


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