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自意識と包摂

自意識と聞くと【自意識過剰】という言葉を一般のひとは思い出すと思う。悪い意味だ。自分のことが他者から見られていると驕っているかんじか。文学評論では【自意識が高い】と【自意識が低い】という言葉があって、いい意味とか悪い意味とか関係なく、その状態を表す。

【自意識が高い】ひとから自分が客観的にどう見られているか計算する能力が高い

【自意識が低い】ひとから自分が客観的にどう見られているか計算する能力が低い

竹宮恵子先生の本では、自意識が高い作家と低い作家では育て方が違う、みたいな話が出てくる。自意識が高い作家は叩いて伸ばせ、低い作家は褒めて伸ばせ、と書いてらっしゃった覚えがある。

【包摂】というのは、

論理学で、ある概念が、より一般的な概念につつみこまれること。特殊が普遍に従属する関係。例えば、動物という概念は生物という概念に包摂される。

コトバンクより引用

やおいが包摂されてBLになった。

やおいはもともと、「女性であることに傷ついた」ひとの文化だったんだけど、それが少女漫画という女性ジェンダー適応型文化に包摂されてBLになり、一般に普及されていった。包摂されることでもともとやおいという文化にあった強烈な社会への毒が薄まってしまった。

みたいに使う言葉。

自意識が高い作家は包摂が許せない。包摂が許せなくて一般的な少女漫画業界からははじかれてしまい、しかしそのぶん似たような傷を持っている読者層に好まれてカリスマを持つ。肝心なのは、毒の配分だ。毒はありすぎてもなさすぎてもいけない。

最近のフェミニズムを観ていると、あまり自意識が高くない、と思う。自意識が高かったら女性側の傷しか見えない、ということは無いはずだ。それが見える人間はカジュアルなフェミニズムへの包摂ができないから、フェミニズムからはじかれてしまう。今は黙っているが、いずれ、自意識の高い、フェミニズムに包摂されなかったフェミニストが描く漫画が出てくるだろう。

とか、ハンドメイズテイル観ながら思っている。

スゲー話だ。びっくりした。非常にフェミニスティックなドラマなんだけど、ドメスティックな家父長制ではなく帝国主義的な家父長制。現代にファシズムと奴隷制度が再来した世界の、『侍女』と呼ばれる出産に特化した性奴隷が主人公の物語なんだけど、アングロサクソンがアフリカ大陸から奴隷を連れてきたときの、奴隷側からの再現、というか、今度は白人も奴隷になっているようにも見えるわけ。個人間の植民地主義がよく出ていて、現代を風刺している。もちろん宗教が核だ。毒が強すぎる。面白い。おそらく、我々日本人が観るよりも、欧米圏のひとたちが観たほうが、もっと細かな細工が読み取れるだろう。人種や階級による微妙な違い、みたいなもん。カジュアルなフェミニズムに包摂されてない。毒が薄まっていないフェミニズムだ。

なにがすごいって主人公が配属された上流階級の奥様がフェミニストなところだ。もともとフェミニストなんだけど、自分の役に立つ性奴隷は存在OKなわけ。底辺の女性の苦しみには寄り添わず、体制側におもねるリーンイン(寄りかかる)フェミニストだ。あられもない権威主義で、自分に矛盾を感じない、自意識の低いフェミニスト。現代のフェミニストの特徴は、びっくりするほど帝国-植民地主義が見えないんだよね。普通の家父長制よりも帝国主義の家父長制のほうが生存権にかかわるのに、全然見えない。見えてない自分に気が付けるだけの自意識の高さがない。まさしくネオリベラル・フェミニズムの表象。これ、ものすごい猛毒だろうアメリカ社会にとって。この手の猛毒をエンタメ昇華できるのがすさまじい。アメドラの凄みを観た気がする。

アメドラや韓ドラはその辺わかって作ってる感がある。日本はいつもなにも見えずに作って、うっかり無意識の表象が出ちゃいました、みたいなつくりをしている。サブカルみたいに。たとえばアメリカドラマに出てくるゾンビは、帝国主義で植民地の人間を大量虐殺したアメリカ側のトラウマのメタファー、ってよく言われるんだけど、絶対それわかってるな、というかんじで作られてた『ウォーキングデッド』。植民地人なんか人間ではないから、殺しても殺しても全然OKなんだけど、沸いて出てくるからこっちも殺されちゃう、先住民にものすごい恨まれているから、その報復がいつかくるはず、みたいな話ね。そりゃあんな大量虐殺してアメリカ大陸を奪って人口増えたのに、大量虐殺なんかなにもなかったみたいに人権や正義の話をしてると罪悪感もつのるだろう。脚本家の自意識が高くないと見えないじゃんそんなの。自分たちのトラウマや罪悪感さえもドラマに使えるほどの、脚本家の骨太さが見える。


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