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日本人であること

五月のさっきょく塾 思考論<間ってなあに?日本の感覚を現代音楽でつかう?> 面白く読みました。特にリザ・リムが対峙する文化との距離感に共感しました。そして自分にとって、日本を感じる瞬間がどこにあるか、考えてみました。

「日本人だから〇〇だね」「女だから〇〇だ」という言われ方はどうも好きではありません。

これって、「予想されたこと」対して「その通り」に対応することだと思うんです。

うちの4歳娘にこう問いかけます。

「歯を磨きなさい」

そうすると大抵は、

「やだー」とか「今やろうと思ってたのにー」とか言われて、終わりです。

それを、

「歯を磨かないで寝ちゃおうよー。面倒臭いから虫歯できてもいいじゃーん」

と、こちらが否定すると、

「ダメだよ!ママ、虫歯ができたら痛いんだよ」とこちらが諭されます。

「日本人が日本的な作品を書くように」言われるのは、どこかこういう心理に似てるような気もするんです。36歳いまだにイヤイヤ期か。だからか、基本何かを求められることが嫌です。

***

そしてそんなわたしが、どこに日本を感じるのか考えてみたら、セミパブリックな場なんじゃないかと思ったんですね。

ここでいう「セミパブリックな場」とは、平田オリザさんの戯曲を作る時の場、として考えるシチュエーションみたいなものです。

内部者と外部者が行き交う場所。例えば、病院の待合室とか、空港。ある種の普遍的な機能を持っていて、どこにでもある、そして何かと何かが出会う場所です。

グラーツ時代にいつも通学に使っていたバス停がまさにそれで、長野の実家近くにあるバス停によく似てるんです。あそこに行くとなぜか日本を、当時の空気やあの頃の精神を思い出します。

逆に、日本に帰ると日本を感じない。これってパラドックスなんだけど、わたしが知ってる「日本」が、もうない。

わたしの「日本」は「日本そのもの」とは、かけ離れてしまってる、なにか得体の知れない存在なんです。それほど個人が感じる「故郷」はプライベートなものになっている、と思うんですね。これって、カルヴィーノが言っていることと少し繋がるかもしれない。

Every time I describe a city I am saying something about Venice. Memory’s images, once they are fixed in words, are erased. Perhaps I am afraid of losing Venice all at once, if I speak of it. Or, perhaps, speaking of other cities, I have already lost it, little by little.

 (Italo Calvino, Le città invisibiliからの引用)

だから何も知らない人から

「日本人作曲家として、どう思うか」

なんて質問されたら、凄く困惑してしまうんです。どうして、そんなプライベートなこと、聞いてくるのかなと。

最後に10年前に好きだったPost Theaterの動画。ふと思い出したので、貼っておきます。日本ってなんだろう。


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