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大切なことができて、よかった。
「自分にとって大切なこと」
これを考えたときに、心に浮かんできたのはこの歌詞だった。
良し悪しって簡単に 決められない気もしてるけど
大事だって思うのは 何が大事か忘れないこと
ああ 人知れぬ涙の その哀しさとか
ああ 差し出された手の 優しさだとか
SUPER BEAVER「ラブソング」より
(歌詞はこちらから引用)
忘れることには、なかなか抗えない。
だから忘れないために、書いている。
大切にしたいことを、忘れないこと。
それを大切にしたい。
*
一年書き続ける中で、自分にとって大切なことがわかってきた。
心の声を聴くこと。
その声を目に見える形にするために、書くこと。
それらを受け入れること。
何者かになるのではなく、私は私になればよいこと。
そんな私には価値があると信じること。
今を感じながら生きること。
良し悪しではなく「どう感じるか」を大切にすること。
日が常にあるとは限らないこと。
毎日は誰かの手によって支えられていること。
自分次第で楽しいことは増やせること。
少しの勇気でいいことも起こせること。
周りから受け取っているものの多さ、大きさに気づき、感謝すること。
気づいたなら、周りに返していくこと。
一つひとつのご縁を、丁寧につなぐこと。
これらはみんな、書き続けながら気づいたこと。
ふりかえったときに、大切にしたいと思ったこと。
一年前の自分がこれを見たらどう思うだろう。
「はぁ」と、わかるような、わからないような。
フワフワしたこと言ってるな、と思う気がする。
だから何?みたいな。
擦れていたし、硬かった。
たぶん。
たぶんというのは、そのときの気持ちを正確にはもう思い出せなくて。
上に書いたようなことを「大切でない」と思っていたかもしれない気持ちが、もうわからなくて。
それってすごく喜ばしいことなんだろうな。
「言ってることはわかるけど」という状態から、私という人間の一部に溶け込んでいる状態へ。
変わっている。確実に。
*
たぶん、幸せに生きたかったんだと思う。
幸せになりたいから書き始めたわけではなかったけど、そういう願いは、おそらく心の奥の方にあったんじゃないかなぁ。
「幸せ」という概念について、それまで考えたこともなかった。なんなら、その概念の存在を信じていなかったかもしれない。そんな擦れた自分もまた、心の奥では嫌悪していたのだろう。
でも書きながら気がついた。
「こうなったら幸せ」「こうなったら不幸せ」というものはない。一つの定規で、一人ひとり違う人間の幸せは測れない。
自分の心が「幸せ」という感情をとらえられるか、否か。
ただそれだけなんだよなぁ。
*
無意識にでも、幸せになりたいと思っていて。
書きながら大切なことに気がついて。
そして今、幸せを感じているのかというと、「わからない」というのが正直なところ。
ここで「感じている」というのは、うそになってしまうような気がして。それくらい「幸せ」というのは、とらえるのが難しい感情なのだと思う。少なくとも私にとっては。
でも確実に言えるのは、自分にとって大切なことができてよかったなって。
たとえ本に書いてあったり、どこかで耳にしたことがあることでも、自分自身の言葉で、大切だと言えることがあるという事実が。
とてもうれしいことで。
とても心強いことで。
これが幸せというやつなんだろうか。
どうも懐疑的になってしまう。
心の擦れ、硬さが、まだ残っているのかもしれない。
*
やわらかいクッションのような。
冬の日のひだまりのあたたかさのような。
その心で受け止められたものはみんな丸みを帯びて、ちょうどいい温度を持ち、よい栄養として自分の中に吸収していけるような。
そんな心をもつ人になりたい。
その心で、大切にしたいことをたくさん見つけたい。
大切にしたいことを、忘れたくない。
大切にしたいことを、大切にし続けたい。
そのために、これからも書き続ける。
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