大切なことばの後ろ側で。
昨日は「ことばの日」だったので、「大切にしていることば」を改めて整理してみました。
一方で、「逆に、あまり好きじゃないことばってあるかなあ…?」ということもふと考えてみました。
そして考えてみると、ある。
あまり使いたくないことば、あまり耳にしたくないことば。
これもnoteに整理してみようか…
でも、もしここに書くとしたら、書いていて自分は楽しいんだろうか。
そして誰かが読んだときに、あまりいい気持ちはしないんじゃないだろうか。
そんなことを思って、書くかどうか少しためらいましたが、、やっぱり書いてみることにします。(結局)
自分の中に深く刻むのは大切なことばだけでもいいのかもしれないですが、苦手としていることばも同じく深く刻んでおいた方が、どのことばに対しても、もっと丁寧に、慎重に、大事に扱えるようになるかな…と思ったからです。
ここに書くのはあくまでわたし自身が「ちょっと苦手だな…」というだけなので、それを使っている誰かを責めるものではありません。使ってしまう場面はあるでしょうし、苦手と言いつつ、わたし自身もついつい使っている場面もあるかもしれません。
自戒の意味をこめつつ、書いてみたいと思います。
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”~させる”
「なんとか実現させよう!」とかの文脈の「させる」ではなく、「子どもにこれをやらせよう」とか「○○さんに~させよう」とか、ほかの人が関係する中で使うときの~させるです。
その人の意志が伴っていないような感じがしてしまい、苦手です。
強制的で、こちらの力でコントロールしているような。
子どもとの活動のときには、たとえば「子どもを静かにさせる」ではなく「子どもたちが静かになるように、自分が~する」と考えよう、と周りのスタッフには伝えています。
”投げる”
これも「ボールを投げる」とかの「投げる」ではなく。笑
物事を任せる時に「投げる」という表現を使うことを耳にすることがありますが、~させると同じく一方的な感じがして、あまり使いたくないなと。。
仕事を「投げられた」人は、きっとあまり嬉しくはないと思うし、せっかく何かを頼むなら「任せられた」と思ってほしい。
任せられたと思えたほうが、その人の力が発揮できると思います。
”わからない”
講義を聞いていて不明点がある、という文脈ではなく、何か意見を求められたときに「わからない」と言ってしまうことを指しています。
その人の意志が見えないから苦手なのかなあ…
「わからない」ということばで、全てが止まってしまう気がして。
それだったら批判や厳しい意見の方がまだいいのかも。。
その人がどう思っているかがわかるから。
議論していて自分が進行役だとしたら、問いの掛け方等々によることもあると思うので、考えやすいような問いを投げかけることも必要だと思うのですが。
何でもいいから自分の意見を伝えること、すごく大事だと思います。
(正解不正解を考えちゃうのかなあ…その気持ちもわかる。。これについては別の機会にまた考えよう)
自分自身も「わからない」状態に陥ることはあるので、あれやこれや問いの方向性を変えてみて、考える努力はし続けようと思います!
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無意識はことばに表れる。
出てきたことばを客観的に見つめることができれば、自分の無意識に気がつくきっかけになるかもしれない。
「投げる」ということばをつい使ってしまったとしたら、その人に任せようという気持ちよりも、面倒だから仕事を投げようと思っていたのかな、という自分の気持ちにハッとしたりとか。
そう思っている気持ちって、「投げる」ということば以上に、その人への物事の頼み方とか、伝え方に自然と表れる気がするんですよね。
そう思うと出てきたことばは、自分のこころの内に気づくためのサインのようなのかもしれないな。
使っていることばで意識も変わる。
無意識がことばに表れるように、使っていることばもまた人の意識に影響を与える。
だから一つひとつ、いいなと思うことばを選んで使った方が、自分自身にとっても、誰かにとってもいい。
ありがたいことに、自分が使うことばは選べるんだから。
最近ことばについてよく考えるなあ。
楽しい。
ことばってすごく奥深い。
毎日のように関わる存在だからこそ、大切にしたいですね。
そんなわけで、また逢う日まで。
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