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心が向かう時間

「充実」って抽象的なことばだ。

「人生を充実させる」とか「充実した時間を過ごす」とか。よく耳にするし自分も言ってしまうけど、はて「充実」ってなんだろう、と。

中にすきまなく一杯に満ちること。
内容が十分備わって豊かなこと。

参考にしたページにはこのように載っていた。そうか、いっぱいつまっていることや、満タンになっていることなんだ。

Aのことも、Bのことも、Cのことも、Dのことも、いろいろやってることが一見充実っぽいけど、それが充実かどうかは人によって違う。その状態で充実と感じる人もいれば、もっともっとと思う人もいるだろうし、逆にいっぱいいっぱいだと感じる人もいるだろう。

量の問題だけじゃない。定義には「豊かなこと」ともあるので、充実には質も関係してくる。

そう考えると「充実した時間」というものは千差万別。人それぞれで定義がちがう。自分にとって充実の定義はなんだろうと、ちゃんとわかっておいたほうがいい。誰かの充実は、誰かの充実でしかない。

もっと言えば、「充実した時間を過ごす」必要があるかどうかも人によって違う。別に充実を求めてない、という人もいるだろうし。逆に、「こんなに充実しててさ」とひけらかすものでもない。

心がまっすぐに「そのこと」に向かってる状態なのかな。不安や心配ごととか、誰かにこう思われたらどうしようとかが浮かぶことなく、ぐっと集中できている状態。


それって書くことじゃんと気がついた午前0時。
書く時間は私にとって「充実」の一つです。

おしまい。




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