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だからわたしはサンタクロースになった
母が亡くなって、2年位経った頃だろうか。ある冬の日、一通の手紙を見つけた。
書いたのは八つ離れた一番末の妹。まだ小学校一年かそこらだったはずだ。
『サンタさんへ クリスマスにはゆきをふらせてください。 そうしたらサンタさんにゆきでチャーハンをつくってあげます』
確かそんな文面だった。
幼い字でおえかき用紙いっぱいに書かれた手紙。それを読んで頭を殴られたような衝撃を受けた。
末の妹が生まれた後、母はたいてい入院していたから、妹は母と暮らしたことがほとんどない。父も母の看病のため病院に寝泊まりしていて、家に帰るのは風呂に入って着替えを取りに来る時だけ。世間のイベントごとなんて、考える余裕はなかっただろう。ただでさえ4人兄弟の末っ子ともなれば放って置かれがちだった。
だから、手紙を読むまで私は気づいていなかったのだ。妹はクリスマスプレゼントをもらったことがないということを。
サンタクロースのことやプレゼントのことは、どこかで聞いて知っていたはずだ。サンタさんに何のプレゼントを頼むかという話題を、楽しげに話す友だちもいただろう。
それを妹はどんな気持ちで聞いていたのだろうか。
賢い妹は「うちは他とは違う」と察し、諦めていたのだろうか。それとも今年こそはと期待し続けていたのだろうか。クリスマスプレゼントがもらえない理由を聞いてくることもなかった。
妹にしてみれば楽しいままごとの材料として、雪が降ればいいなと思っただけなのかもしれない。けれども、妹が不憫でしかたなく、その年から私はサンタになった。
当時の私の小遣いは二〜三千円だったと思う。妹全員分のプレゼントを用意しようと思っても、大したものは買えない。だからいつも、3枚千円のハンカチとか3足千円の靴下とかだった。それでも妹たちに喜んで欲しくて、毎年時間をかけて選び、一つずつ包んで準備した。
当日はちゃんと夜になるのを待ち、寝ている枕元に置いた。翌朝妹たちは「お姉ちゃんありがと」と言うのだが、私は知らない顔をする。
誰がプレゼントを置いたのか分からないはずはない。けれども、幼い私たちはそんなファンタジーを心の支えにして寄り添っていた。
つい、数年前、妹が突然メッセージをくれた。友人とクリスマスの思い出の話になって、お姉ちゃんのことを思い出した。あの時はありがとう、そんなメッセージだった。
そのメッセージは純粋に嬉しかった。けれど、私はあの手紙を読むまで思いやれなかったことを悔いる気持ちの方が未だに強い。その後サンタになったことは自分への言い訳に過ぎなかったと、いつまでもほろ苦くおりのように心に沈んでいる。
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