だから今は小説を読むとき

今、私の手元にはある一冊の小説がある。たまたま図書館で手にした本。
丁寧で温かい言葉ばかりで綴られた文章を、こんな日本語や表現があったのだという新鮮な驚きをもって読み進めている。
そして、その表紙を見ながらしみじみとこの半年間を振り返っている。

今月いっぱいで仕事を辞める。
業務内容、職場の人間関係、個人事業とのダブルワーク、常勤勤務と家事の両立。あらゆる面で自分の許容量を超えていたらしい。

働き始めて4か月目頃から気持ちが沈みがちになった。
それから約3か月、職場から逃げ出したい衝動に耐え続けたが、次第にうまく眠れなくなり、就業中に過換気発作を起こしたり、思考や記憶のパフォーマンスが著しく低下してきた。

これ以上悪化すれば生活全般に支障を来すかも。大袈裟かもしれないけど、過去にそれを経験したことがある私はそこまで悪化する事態は絶対に避けたかった。だから、辞めた。

理屈ではすべてうまくいくはずだった。頭の中では日々スムーズに過ごすシュミレーションができていた。業務は実際に働きながら覚えられたし、人間関係なんて気にしなきゃいいことだ。ダブルワークも家事との両立も、時間配分上は可能なはずだった。

なのになぜ、できなかったのか。
今の私は絶えず浮かんでくるそんな疑問を、敢えて深掘りしないで置いている。

なぜ、の答えを知ろうとすれば、自分の能力不足という安直な結論に一度はたどり着くだろうことが明白だったし、それはそれでまだ向き合いたくない。
かといって、これまでの私のように自己啓発本に答えを探すのも、やはり安易に思える。

思えばここ数年、私が読む本と言えばビジネス書、教養ものの新書、自己啓発本などばかりだった。
そういう論理的な文章が好きだ。それに新しいことを学ぶのは楽しい。そして気のせいだけど、持っているだけでもなんとなく頭が良くなった気がする。

だが、そんな本ばかり読んでいた影響なのか、いつの間にか自分はなんでも首尾よくできる人間だと思いこんでいたようだ。
そして自分の時間や感情や体力をパズルのピースのように考え、ぴたりとはまるなら実行可能と、そんな風に考えていたらしい。

ならば、今こそ、様々な理屈通りにいかない生き様に触れてみるのがいいのでは、と思いついた。そういえば小説やエッセイはずいぶん長いこと読んでいない。漫画すら読んでなかった。

物語には、理屈通りにいかないいろいろな生き方や、あらゆる感情がある。本の中の会ったことのない人、見たことのない世界にたくさん浸かっているうちに、「自分には、理屈通りにいかない部分がある」という実感が私にもしっかり染み込むのではないか。

そうすれば、私は危うさばかりではなく、きっと強さだって持っているんだと、自分で自分が信じられるかもしれない。
そうすれば、これからも、自分が自分でいることに不安にならずに済むかもしれない。


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