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私が子どもに字を教えなかった理由は絵本にある

子どもが小学校に入学するまで、字を教えなかった。

というと、けっこう驚かれる。特に女の子はずいぶん早いうちから手紙交換などしたがり、字を覚えるらしい。

ひらがなの読み方は6歳の誕生日まで教えなかった。(でもその後の半年でちょっと教えたら入学前には読めるようになった。)

ひらがなの書き方は入学まで全く教えなかった。書くことに興味を示さなかったし、放っておいたら入学まで本当に書けなかった。

入学してすぐ、自分のカードに名前を書かなければならない場面があった。そばにいた先生に一文字ずつ教えてもらいながら、10分近くかかってものすごく真剣な眼差しで書いているのを、遠くでハラハラしながら見ていた。

その時は、せめて名前くらいは書けるように教えておけば良かったかも、と少し申し訳ない気持ちになったが、教えなかったのには理由がある。

絵本を読めなくなるのが、たまらなく嫌だったからだ。

絵本は、絵の本だ。絵を読まなきゃ絵本じゃない。けれども、字が読めるようになると、目が字を追ってしまい、絵に注意が向かなくなる。

これは本当にもったいない。絵には字以上にたくさんの物語が詰め込まれているのに。

絵を読むのは字を読むより大変だ。分かりやすく語りかけてはくれない。だから、注意して見なければならないし、想像しなければならない。

字は急いで教えなくても、学校に行けば絶対に読み書きできるようになる、と信じ、だからせめて就学までは、しっかり絵を見て、語りかけてくるものの中に浸って欲しい、と願った。

それが、字を教えなかった理由だ。

そしてもう一つ。絵本は一人で読むものではないからだ。

図書館や本屋で、字が読めるようになったばかりの小さな子に母親が絵本を渡して、自分で読めるでしょなんて言ってる場面を見ることがある。

もー!何言ってるんだよぅ!!と、息も荒くそのお母さんに意見しそうになってしまう。

絵本は、子どもを膝に乗せ、後ろからかぶさるようにして顔を寄せ、一緒に広げて読むものだ。

絵本を表紙から裏表紙まで丁寧にゆっくりと読む。

子どもは、自分とか時間なんてものを置き去って、絵本の世界に入り込んでいる。それが背中から伝わる。

読み終わると、ひと呼吸分だけ時間が止まる。

それから、ほぅっと息を吐いて表情が緩み、今の自分と今の時間に戻ってくる。そして満足そうに次の時間に移っていくのだ。

そんな風に、絵本の世界に一緒に入り込んで、絵を読み、それに少しの文字で物語を添えて、温かい時間を過ごす。

それが私の楽しみで、できるだけ長く味わいたくて字を教えなかった。親というのは欲深いものだ。


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