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母のことと子ども時代のこと

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夭逝した母にまつわる思い出とか、自分の子どもの頃のこととか。
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#母

母の遺言の手紙

今年の夏、久しぶりに帰省して、実家に置きっぱなしの持ち物を整理してきた。 実家の父はまだまだ元気で今年も富士山登頂を果たしたほどだが、高齢になってきたので、物を減らしたいと言われたのだ。 結婚する時、大概の不用品は処分したつもりだったが、アルバムや手紙などが残っていた。手紙の中には、母が送ってくれたものがたくさんあった。 私が小学生の頃、白血病で何度も入退院を繰り返していた母は、入院が決まるたびに、はがきをたくさん購入して病院に持ち込んでいた。そして、毎日のように四人の娘そ

お母さんは女神

わたしはある日37歳5か月になり、その日以降もどうやら死にそうではなかった。その時初めて、『母にできなかったことを、わたしは成し遂げた』と思った。 37歳5か月というのは母が亡くなった年齢だ。その時私は思春期の入り口に立ったばかり。親にもなにやら賢しいことを言うようになった、という程度で反抗なんてまだできない頃だった。 母は絶対的な善の存在だった。きれいで優しい母さん。お料理もお裁縫も上手だし、英語が話せてかっこいい母さん。明るくていつも笑ってて、でも涙もろくて、大好きな

不思議な体験その1・死ぬ前の母に会う

夜、玄関の外に誰かが居る。いぶかしんで玄関まで出ると、そこには入院しているはずの母が立っていた。 外出の許可が出たなんて聞いてなかった!驚かせようと思って内緒にしていたのだろうか。何にせよとても嬉しい。 母に、早く中に入ってと声をかける。とにかく家の中に入って欲しい。一緒に明るい部屋で談笑したい。しかし、入れないのか、入りたくないのか、母は悲しそうな顔で頭を横に振る。 家には少し寄っただけで、どこかに行かなければならないのだろうか。どこかに行く途中なのかと訊ねる。けれど

『千の風になって』に重ねる母の気配

この週末に年賀状を書き終わった。もう随分前から、友だちとの年始の挨拶はSNSで済ますことが多くなった。年賀状を出すのは主に、マクラメ教室の生徒さんと、夫と私の両親と、母の生前の知人宛である。 年賀状を書く時は、既に受け取った喪中はがきに気をつける。 少し前まで友人からは祖父母が亡くなった報せが多かったが、ここ数年で親を亡くしたという喪中はがきが多くなってきた。 ある時そのことを父に話したら、「お父さんの年代になると、配偶者を亡くした人が増えてくるよ」と言われた。 当た

牡蠣フライの記憶

小学四年生の時、入院中の母と二人きりで出かけたことがある。 「外出許可がおりたの。だから一緒におでかけしよう。学校を休んで、病院までおいで。」 「わたしだけ?」 「そう、ゆきちゃんだけよ。」 約束の日、待ち合わせは昼食には少し早い時間。久しぶりに見る、母の私服姿。見慣れた入院用のパジャマとは違う母の姿は知らない人みたいで、少し気恥ずかしく、なぜだか緊張する。 妹が生まれてからは母を独り占めできることなどなかった。なのに、いざ二人きりになると何を話せば良いか、どう振る