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お母さんは女神

わたしはある日37歳5か月になり、その日以降もどうやら死にそうではなかった。その時初めて、『母にできなかったことを、わたしは成し遂げた』と思った。

37歳5か月というのは母が亡くなった年齢だ。その時私は思春期の入り口に立ったばかり。親にもなにやら賢しいことを言うようになった、という程度で反抗なんてまだできない頃だった。

母は絶対的な善の存在だった。きれいで優しい母さん。お料理もお裁縫も上手だし、英語が話せてかっこいい母さん。明るくていつも笑ってて、でも涙もろくて、大好きな母さん。四人姉妹の中で一番長く元気な母を知っていることは私だけに与えられた恵みだと感じ、妹たちに対して優越感さえあった。わたしの自慢の母さん。

守破離というけれど、守の段階のままで母を失った。だから母は、その後も永遠にわたしの女神になった。決して年をとらず、美しくて神々しい存在。

そしてそれは、わたしには重荷だった。

女神のような母と違い、お料理が全然上手にならない。英語はどうしても苦手で覚えられない。いつも笑っているなんて無理で、イライラして妹に八つ当たりしてしまう、嫌な私。母さんと全然違うわたし。

女神のような母のイメージと、ありのままの自分とのギャップに悩み、自分を卑下していた中学・高校生時代。

子育てをするようになってからはますます、優しくて温かいお母さん像に近づこうともがき、母の幻影に悩まされた。

37歳5か月を過ぎたとたん、突然に、楽になった。この感覚は生まれ変わったといおうか、一皮むけたといおうか。今まで私を全方位から押し付け、閉じ込めていた力が、急にパッと消えて解放されたように感じた。

母は今も女神のようなままだ。母にもきっと至らないところはあったのだろうけど、覚えていない。覚えているのはいいところばかりだ。けれど、母は年をとらない。今や私より一回りちかく年下になった。だからきっと私の方が少しは知っていることがあるだろうと思える。

年齢という物理的な、計測可能な数字によって、私は守破離の破と離を一度に経験したのだった。

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