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妻なのか子供なのか、夫なのか父親なのか(答えは明白なんだけど)

ここ最近の記事の定型文になりつつありますが、私と夫は23歳年が離れています。

私が37歳で夫が60歳。
私たちは出かけるとき手を繋いで歩くのですが、傍から見たら不思議な2人に見えているかもしれません。
ですが私にはそんなことは到底どうでもよく、ただただ夫が大好きだし、夫は「夫」だと認識しています。


ですが、周りは私の認識をひょいと覆しているようで。
結婚して1か月程が経ちましたが、どうやら一般的なフィルターで私たちを見ると、私たちは「夫婦」には見えないようなのです。


「娘さんと一緒にいるのかと思った」「親子かと思った」そんな感想はあるあるです。

私は夫が夫だし、それでいいし、愛しているのでこういった世論は心底どうでもいいのですが、どうも夫がこれらに心を痛め、へこんでいるようなのです。


付き合う前、結婚する前から年齢差に対して「いいのかなぁ」と夫がぼやくことはあったのですが、なんだか最近はよく「お父さんに見えないだろうか」と不安がっているようです。

私は夫は父親には見えないし、実の父親しか父親だと認識していないし、本人たちがそれでいいと思っているのならなんら気にすることはないと思っているのですが、こればっかりは当の本人が納得しないとどうにもこうにもなんないよなぁ…と思っています。

夫よ、私はあなたを父親ではなく夫としてしか見ていないのだよ。とてもとても愛しているのだよ。


ですが、こう力強く書いているように見える私も、反対に「子供と思われていないだろうか」と不安がることはしょっちゅうあるのです。


なんというか、37歳の女(私本人)が言うのもあれなんですが、自分自身の言動が幼く見えて仕方ないのです。

事あるごとにぐずぐずしたり、もう寝る時間なのに「まだねない!」と泣いたり、自分の気持ちをうまく言語化できなくて夫にぐずぐずくっついたり(要はぐずる)。

自分の気持ちを言語化できないとか、言いたい言葉がすぐに出てこないといったようなこともあるのですが、そのときの私は若干自閉症の様子が垣間見えていると自分では思っているし、嬉しいときや落ち着かないときに手をひらひらパタパタさせるのも体を揺らすのも自閉症ライクだし、自分の思っていた順番通りに進まなかったらパニックになるし、時にはうなるし…

なんというかつまりその、幼いプラスそもそも持っている自閉症も相まってより「もうすぐ38歳になろう女の」言動には見えないのです。
それが「妻」ではなく「子供」に見えて。


私が思う37歳女性ってこんな、ぐずぐずしたり、言いたい言葉がすぐに出てこなくて「えーっとね、んーっとね、えーっとね」をただ繰り返したり、「まだねない!」と夫の座椅子にうずくまって泣いたり、嬉しいときや落ち着かないときに家でも外でも手をひらひらパタパタさせたり、うなったり…とにかくそういうことはしない!と思っているのです。

私が思う37歳は、もっとしゅっとしてて、しゃきっとしてて、自分で泣かずに寝られて、嬉しいときや落ち着かないとき、予定が狂ったときには、家でも外でも自分を律することができると思っているのです。

なんというこの落差。

妻でもそうです。私の思う妻像って、もっとしゅっとしててしゃきっとしてて、自分を律することができる、そんなイメージです。


なので、夫の腕を指でこすりながら「ねぇねぇ、わたしってこどもにみえない?(平仮名)」とめそめそしながら聞くことが増えました。

もっとしゅっとしてしゃきっとしないといけないのに。ぐずぐずして、自閉症ライクなひらひらやパタパタやゆらゆらもやめられなくて、「いまからなにしたらいい?」「きょうはなにしてたらいい?」(オール平仮名)といつも夫に聞いてしまって。
こんなんでいいのかな、こんなんでいいのかな、めそめそめそめそ。と思いながら夫の腕をひたすらこするのです。


そんな、「子供に見えない?」と私から聞かれるとき、夫はいつも「そんなことないよー、奥さんだよー」と言って私を抱きしめてくれます。
なので私は「おくさんにみえる??」と泣きながら聞き返し、夫の腕をべちゃべちゃにするのです。

もっとちゃんと妻として、ちゃんとした37歳の女性としていたいのに、なんだかどうもできなくて。
でも夫が私をこのまま受け止めてくれるので、安心して私はいつも泣いてしまいます。


なので、「父親に見えるんじゃないかなぁ」「親子って思われてるかなぁ」と思っている夫には、ちょっとずつでもいいから「私はあなたを夫だと思っているし、愛しているし、それでいいしそれだけでいい」と伝えていきたいと思っています。いつも夫が私を肯定してくれるお返しです。

確かに私は「夫が22~3歳くらいのときの子」ではあるので子供でもおかしくはないのですが、そういうルートを辿らず、夫婦としてのご縁があったのでそういうことなのです。

まだよく分かりませんが、私が今できる精一杯の「妻」としての務めは、夫を愛し、支えてあげることなのかなぁと。

だから、たとえ私がぐずぐずしてもうなっても、泣いてもひらひらパタパタしても、その「愛し、支える」っていうことができていれば立派なものだし、私はそれがまぁできていると思っている(ちょっと自信なさげなのは、ちゃんと支えられているかなぁ…と)ので、もろもろの不安事はよしとします。


2人で手を繋いで歩いているとき、不思議そうな目をされたっていいじゃないですか。
私は私の人生の「夫」という伴走者に、この愛する夫を選んだことが、とても嬉しく愛おしく、私らしいと思っています。
そして、自閉症(と双極性障害もなんですけど)を持っている自分も、なるべく認めてあげたいなぁと思います。

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